Tue May 23 2017

ちょっと前に「かわいい」という言葉について少し想っていて、おれは割合「かわいい」という言葉を使う。動物や幼い子供といったいわゆる「かわいい」対象に対してはもちろんだし、色や洋服、デザインや食べ物などへ、さらには——、な、つまり、最近汎用化された(とされる)ほうの「かわいい」も使う/使ってきた。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の、昨日の「今日のダーリン」に糸井重里がこう書いていた。

女のこたちの「かわいい」という価値観は、かつてはずいぶんバカにされていたけれど、やっとこのごろ、独自の認められ方をするようになった。

<中略>

ぼく自身も、その「かわいい」の使い方を、まねしてみたくてたまらなかったけれど、どうも、そううまくいくものではなかった。やっぱり、男が言うと、へんなのだ。では、男にとって、「かわいい」のように使えることば、その価値観というのは、なんなのだろうか。それについては、ずっと考えているのだけれど、なかなか、これと言いきるには自信がない。

05月22日の「今日のダーリン」

そうかなあ、と思う。で、それがなぜか考えるのだけれども、短絡的に思いついたのは、幼い頃、妹とよく遊んでいたということだ。
体が弱く外に出られない妹がいたので、家で遊ぶことになるわけだが、おれはレゴブロックがしたい。でも、妹はあまりレゴブロックがしたくない。おれが小うるさいからだ。仕方がないので、これはレゴブロックを用いたままごとだということにし、妹に参加を請う。モチベーションを保ってもらうよう、時折褒める。その時の言葉は「かわいいやん」だ。たぶん、「かっこいい」とかより喜ばれるからそうしたわけだが——、と考えてから、なんだか違う気がしてきた。
そもそもおれは、たとえば自分がデザインした何かを褒められる時であっても「かっこいい」より「かわいい」のほうが嬉しい気がする。たぶん、どうすれば「かっこよくなるか」とは考えておらず、常にどうすればもっと「かわいい」か、と考えて作るからだろう。果たして、その感性はどこに由来したのか?

そう想っていた時、上に引用した「今日のダーリン」がヒントとなった。というのも、糸井重里とほぼ同年の父は、わりと「かわいい」を使っていた気がするのだ。
父は多趣味だけれども、おれが幼い頃はよくラジコン操作のできる模型飛行機を作っていて、自室にこもり塗装などを終えると居間にやってきて「どうや?」とみなにそれを見せた。で、「かっこええやろ」とも言ったと思うが、「かわいいやろ」とも言っていた気がするのだ。そして、あまり模型飛行機に関心の無い妹や母たちは、その色などに対して「うん、かわいいな」と応じていたはずである。

思い返すと、この模型飛行機という男の子的な趣味のものに対し「かわいい」という言葉を使って評することが、当時のおれにはとても洒落たことに感じられたのだった。すこし混乱を招く言い方になるが、そこで「かわいい」を使うのって「かっこいい」と思ったのだろう。

そうなると、では、父はなぜ「やっぱり、男が言うと、へんなのだ」とは思わなかったのか、そこには関西の言葉の性質や価値観も少なからず関係しているのでは? というようなことも考えられるのだが、これはちょっとたいへんな案件なので保留としたい。

それにしても、「かわいい」は「かっこいい」——、良いな。

Mon May 22 2017

どうも体の怠い一日だった。
三四日前から喉が痛かったし、風邪かもしれない。あるいは、今日も引き続き暑い一日だったが、さっそく暑さに草臥れてしまったのかもしれない。

椅子に座っていても怠かったため、少し体を動かすために掃除をする。暫定措置として剥き出しのまま敷かれていたホットカーペットをしまい、床を拭き、洗い物をする。
すこし楽になったので、本を開いてみる。『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』の、「写真とトウキョウ」の章を拾い読み。佐藤真さんによる「遍在するトウキョウを掴まえろ」という文章は、

写真にだけはトウキョウが写る。

の一文に始まり、映画が「トウキョウ」をうまく捉えられないこと、ヴィム・ベンダースとクリス・マルケルを例に挙げ、例外的に、映画であっても外からの眼には際立って映るものなのかもしれない、という感慨が続く。
もちろん、前提として、それは高度な段階においての話なのだが、今日、Instagramのタイムラインを見ていて、似たようなことを感じたことを想起する。

Instagramには「トウキョウ」は映りにくい。メディアの性質上の話だ。大抵は、「どこか」や「なにか」がそこに切り出される。動物や食べ物やヒトが多い。国籍は問わない。
ところが、今日、その流れの中に「トウキョウ」が捉えられた写真が居心地悪く現れたため、なんだろう、と見てみると、それはいま日本に遊びに来ている様子のタイ人の友達が撮った写真だった。
幾つか付けられたハッシュタグの中に「耳おすませば」とあり、ジブリ好きの彼女は聖地巡りでもしているのかもしれない。
ここには「トウキョウ」を捉えるふたつの意思が働いていて、ひとつはタイからの観光客としての彼女の目線、もうひとつが、アニメーションが試みたトウキョウのキャラクター化である。彼女の写真には、前者と後者、一体どっちが色濃く反映されていたのだろうか、また、それが(おれの)Instagramのタイムラインにおいて異質なものとなる理由はなんだろうか、と考える。そして、果たしてその写真は「いいね」だろうか? とも。

それにしてもやはり、体が怠い……、と本を閉じる。
側にいた飼い猫を見て、飼い猫のもきちは昨年具合を悪くしたのだったが、あの当時はずっとこんなふうに辛かったのだろうか、いや、餌も食べなかったからもっと辛かっただろう、などと思う。同時に、こんなに暑いのに、なんて毛むくじゃらなんだ、と可笑しくも感ずる。
ところで、今日は死んだ妹の誕生日だった。ずいぶん前に病気で死んだ妹のことはいまでも日常的に思い出すが、その都度、当時はちっとも妹の体調を想像してやれなかったと情けなく思う。陸上部に所属していて、毎日学校のグラウンドをぐるぐると走っていたおれは、歩くのも困難な状態を真面目に想像できなかった。不可能だった、とは思わない。ただ、その方法を知らなかったのだ。
自分のことを結局は考える。その自分から、一時的に自分を取り出すことを試みる。ほんの少しならば、自分を置き去りにできるかもしれない。そこに生じた隙間で相手を想う。相手のことを考えるということは、幾らかの手順を経て、自分のことを考えることなのかもしれない。

——と、このあと、それなりの感じに文章をまとめる方法を思いついたが、それはよしておこうと思う(ちゃんと「トウキョウ」のこととかも絡めてだぞ)。そんな簡単なことをするためにこうして日記を書いているわけではないし、——と、こんな断りを表さざるを得ないからこそ、文章を書く人間は写真に憧憬を感じるのかもしれないな。

さて、明日のために麦茶でも沸かして寝よう。おやすみなさい。

Sun May 21 2017

昨日の日記は書く前段階でわりと苦労していて、いくつかの必要な要素の和を因数分解し、そこから取捨選択した後に凹凸を均した感じ。
今日は別段、日記を書きたい気分ではないのだけれども、ずっと最新のそれとしておくには前回の日記は狂いすぎているので、凡庸なものを最新に置き換え少々の落ち着きを得ようという魂胆である。

さて、よく晴れた暑い一日だった。
少し前、野暮用で(橋本)和加子さんと連絡を取った際、今日催される映画の上映会を案内されていたため、夕方、入谷に。上映会場のすぐ近くの横断歩道で、昨日もあった友人ふたりと会う。声をかけると、おれが向かっている映画の上映会のひとつまえの上映を見終えたところだったらしく、ひとつまえの上映開始時刻から計算すると催しは長時間に及びそうで、そんなに長いのかと問うたところ、そうだとの回答を得る。まずいな、と思いつつ会場に。
いちおうの目的は友人の今野(裕一郎)くんのあたらしい映画で、『OVER, UNDER, AROUND & THROUGH』というタイトルだった。それはおもしろくて、画作りや最後のクレジット表記も良かった。あと、これは以前の作品と比べて、ということになるが、出演者の細かな年齢の差が広がりをもたらすグラデーションを作っていて、そのことがとても良い印象だった。

それはそれとして、長時間パイプ椅子に座っていたため腰が痛い。原因は単なる俺の不摂生だが、もはや映画館以外の場所での長時間の上映会はある種の苦行で、クラブイベントと同様に、よほどの場合でないと行くものではないな、と思う。

帰宅後、昨日頂いたパテをパンに塗って食べる。美味い。

Sat May 20 2017

どうも眠れず、朝まで起きていたせいで予定の時刻に遅れてしまった。
11時半頃には起きたかったのだが、気付くと13時半だった。以前にウェブサイトを制作したカフェが今月いっぱいで閉店するため、まだ食べたことのなかったランチを食べに自由が丘に行かねばならないのだった。

我が家は自由が丘からは遠い。電車を乗り継ぎ1時間半はかかる。15時ラストオーダーと聞いていたので、起床後、身なりを整えた時にはもう間に合わない時間になってしまっていた。それでも大急ぎで電車に乗り、乗っている日比谷線の車両は順調に走り、中目黒で東急東横線に乗り換え自由が丘に。道中、連絡をもらい、ラストオーダーが16時だったことが判明。急いだ甲斐があり、なんとかランチにありつけた。

日差しの強い日だった。美味しい食事を終え、アイス珈琲を飲み木陰で涼んでいると、少し風変わりな紙芝居をやる人がやってきた。場所をテラスから店内へと移し、その人から空海の話、原田英代というピアニストの話、大平農園の話を聞かせてもらう。
話を聞き終えた時にはすっかり夜で、具体的に言えば21時過ぎだった。このあと場所を移してまた飲み食いをしようか、という雰囲気だったのだが、なんとなくその前夜にかけられた言葉の感触から、帰るべきなのではないか、という予感があり、それに従う。

自由が丘からふたたび東急東横線に乗り中目黒で日比谷線に乗り換えようと思っていたのだったが、電車の乗り継ぎや地図を読むことが不得手なことが災いして、うっかり渋谷に来てしまう。仕方なく半蔵門線に乗り換え帰路を急ぐ。
その車内で、やはり早く帰宅し駆け付けなければいけないことがわかり、ひとまず現状を伝えることに。ところが、いま日比谷線に乗っている、と間違った情報を伝えてしまう。実際は半蔵門線に乗っていたのだったが、すっかり日比谷線だと思い込んでいたのだった。
耳を澄ますと、どうやら現場には制限時間があって、あと一時間ほどで駆け付けなければいけない様子だった。とはいえ、電車なので身動きがとれない。なんとかそこから来られないか、とも問われたのだったが、日比谷線では難しい旨を伝える。日比谷線だったら仕方がないとの応答をもらい、実際は半蔵門線だったのだけれども、半蔵門線でも無理なことに変わりはなかったためやはり仕方がなく、とにかく戦いを見守ることしかできなかった。

やがて倒すべき敵も残り僅かとなり、そのこと自体は憂うべき事態ではなかったのだけれども、駆けつける理由がなくなるのは困るため、複雑な心境で家が近付くのを待つ。大手町で下車した乗客が忘れ物をしていたのでそれを駅員に渡し、ようやく最寄駅を出た時にはいよいよ戦いも佳境に。あと五分ほどで駆けつけれられると伝えたものの、その五分で倒すべき敵は駆逐されてしまいそうで、混乱した状況ではあったものの、電車を降りると同時に家の鍵を握りしめ、とにかく自宅への一途を急いだ。

玄関を開き、出迎えてくれた飼い猫を撫で、部屋のあかりも灯さぬまま現場へと駆けつけることに。飼い猫が餌を要求してきたが、事情を説明し少し待ってもらう。
ところが現場は炎に包まれていて、誰もいなかった。確認を取ると、先ほどの敵は倒したが、調べてみたところデーモンの老王がまだ生きていたため、棄てられた地下簿という場所まで来て欲しいとの返答をもらう。
間に合わなかったことに意気消沈していたのだったが、後のスケジュールを少し押し、棄てられた地下簿に集合する流れで現場は進行している様子で、偶然、デーモンの老王の攻撃に耐性のありそうな大きな盾や、硬い体に有効そうな小さなつるはしを手にしていたため、着の身着のままで棄てられた地下簿へと急ぐ。一度、間違って老王の前室に行ってしまったのだったが、その後、無事に棄てられた地下簿で合流を果たす。

とにかく真っ暗な部屋でデーモンの老王を倒さなければ部屋にあかりも灯せなかったのだけれども、飼い猫は餌の要求を再開するし、そもそも簡単に勝てるものなのかという不安もあり、混乱と焦燥のなか小さなつるはしに松脂を塗る。戦いが始まると、大急ぎでデーモンの老王に殴りかかった。別段、デーモンの老王に恨みはなかったが、人にはそれぞれ事情がある。

世界の果ての時計台は/休む事なくきしんでる
楽しい思い出が死んだとか/そんな事じゃなく
ただ時間だけが/死んでいく
そしてゴロゴロしてるだけの/君を想う夜だ

楽しむ事は罪じゃない/堕落するのもいいもんだ
来るもの去るものの場所で/心を踊らせて
刹那の夢/見ていたい

真島昌利(1994)『人にはそれぞれ事情がある』収録『ロマンス』より

何度か瀕死になったり、現場で交流のあったふたりの仲間の死もあったが、着の身着のままの装備が運良くその時の現場に適していたことや女神の祝福もあり、無事デーモンの老王を倒すことに成功する。

昼と同様に予定の時刻に遅れてしまったが、昼と同様に夜も事は良い流れで進み、使命を果たせた安堵感にようやく人心地つき部屋のあかりを灯す。大きな盾と小さなつるはしを置くと、飼い猫に餌をやり水を与えた。
普段は急ぐ事を避けることが多いのだけれども、今日は急いだ結果に恵まれた一日だった。もしも急いでいなければ、美味しいランチを食えず、デーモンの老王も倒せなかっただろう。

さて、重要なのはここからだ。
重要なのはここからなのだけれども、今日はまだ続きを書く事はできない。いずれ書ける時が来るのだろうとは思うが、いまはまだ沈黙が必要で、ひとまずはここまでの成功を祝福し、休息する必要がある。
なにしろ日差しの強い五月の昼を急ぎランチを食い、夜の自由が丘から帰路を急ぎデーモンの老王を倒したのだ。これ以上、ある一定期間にがんばるのは無理というもので、急ぐことの大切さを感じた一日だったが、それと無理をすることは別である。

ひとまず戦いは終わった。もらったおにぎりを食べ麦茶を飲む。それからここからのことを考える。そこにあった感慨は今日一日がもたらしたものではなく、やはりまだ沈黙が必要で、だからこそ今すぐ開きそうなそのくちびるに歌を。

Sun May 14 2017

2001年の5月は16年前で、おれは17歳だった。毎日退屈で、学校には行きたくなくて、だからよく眠っていた。そのせいかわからないが、2001年の5月は、おどろくほどたくさん夢を見た。一瞬のイメージではない、それなりのヴォリュームの夢を、一夜にふたつもみっつも見た。起きても現実がとおくてぼんやりしていた。それで、なんとなく夢を書き留めておくことにした。いまにして思うと、あまり良い行いではなかったのかもしれない。なにしろ、あの頃の毎日は半分くらいが夢で、あとは夜だった気がする。

6月に附属池田小事件があり、そのせいで酷い夢を見た。それを機に夢を書き留めるのをやめた。
9月に、バイト先の先輩の引っ越しを手伝わされ、くたびれてテレビを見ていたら、世界貿易センタービルに旅客機が突っ込む様子が中継された。それは嘘のような感じがして、でも、翌日に目を覚まし、残暑とその日差しで白く光るアスファルトに目が眩むと、そっちのほうが夢のような感じもした。
クラクラと、そしてフラフラとした。この頃にそんな曖昧さに取り憑かれて、それがまだ続いているような気もする。

こんなことをあらためて書いているのも5月のせいだろうか。あるいは、今日見た甘い夢のせいかもしれない。
もう大人で、17歳じゃないから、こんなことは述べないほうが良い。口をつぐんで、目を閉じればあとは眠るだけ。夢なんて見ないし、もし見たとしても忘れてしまえば良い……。