Sun Sep 10 2017

9日。友人たちと三崎口に出掛ける。
9月に入ってからは涼しい日が続いていたが、この日は天気も良く暑い日だった。

珍しく長時間外出し疲れたのだったが、あまり眠くならず、明け方まで仕事。
このところはグラフィック・デザインの仕事が続いている。
グラフィックは書き仕事などと違い、それほど干渉しないため音楽を聴きながらの作業が可能だが、あるタイミングにおいてはそれが難しく、その時はなかなかに苦しい。いま手がけているものはその時間が長く、経験上、その時間が長時間続く場合はあまり良い作業ができていないと判断するのだけれども、今回は少々特殊で、例えるならば、最後のパーツを嵌めなければ自立不可能な立体を感覚的に組み立てているようであり、大小様々の疑問符が蔓延していたのだけれども、それらが終盤パズルゲームの連鎖のように消えていった格好だ。
まだ終わったわけではないので、引き続き慎重に作業しなければならない。
こういった危なっかしいものは爽快感に欠けるが、辛いぶん面白い。ただ、いまのところそういった作業工程の差異が仕上がりの差異と直結している印象はなく、一長一短——なにより、完成までの作業時間が読みにくいことは問題である。

10日。今日も暑い。昨日の作業を続ける。
深夜、Netflixで『ジュリエットからの手紙』を観る。定石に沿ったラブコメ。そういったものが観たくて観たのだけれども、こういうものを観ていると心の声を口にしないように耐えるのが結構苦しく、後半は腕を組み「いや、うん、それはたしかにそうなんやけど、でも、仕方ないやろ、それは……」的なことをうっかり口に出してしまい、仕方がないので飼い猫に「……なあ?」と問いかける形で消費。飼い猫は真っ暗な玄関でこちらに背を向けて眠っていた。

Fri Sep 8 2017

7日の深夜、ひさしぶりにひどい頭痛。さんざ探したが、あると思っていた頭痛薬が見つからず途方に暮れる。

8日、朝方になんとか眠り、昼に目覚めると頭痛は治っていたが、頭痛を治すための睡眠だったのかあらためてとても眠い。雑務を幾つか。頭痛薬を買っておく。

夕方、写真を撮ろうとカメラを起動させると、おかしな音を立て、液晶が真っ暗のままだった。
ずっとPENTAXのK-01というビザールなミラーレス一眼を使っていたのだが、それが壊れてしまった。ほとんど毎日、それで飼い猫や自宅の多肉植物を撮影していたので、日課が果たせなくなるし、時折は仕事でも使うので困ったことである。なんのことかはよく知らないのだが、太陽フレアのせいだったのだろうか。
最後に撮ったのはやはり飼い猫のもきちの写真。お疲れ様。

Mon Sep 4 2017

(今月)1日にLCD SOUNDSYSTEM『american dream』がリリースされたので、そればかり聴いている。アルバムはとても良いが、白眉となるのはやはりリードトラックでありアルバムのタイトルでもある『american dream』。
リードトラックである『american dream』がリリースされたのは今年5月5日なのだけれども、それからしばらくして歌詞の内容を良く知りたくなり(とても珍しいことだ)、友人の(伊藤)彩里ちゃんに翻訳をお願いしたのだった。
彩里ちゃんにそれを頼んだのは、以前、彼女と共演していた舞台作品をタイで上演した際、英語がてんでダメなおれは滞在のあいだ彼女の英語に頼りきりで、その時の印象からなのだけれども、翻訳などはしたことが無いとのことだったので、面倒なことを頼んでしまったと思う。
で、実は1日に『american dream』は日本盤を同時発売しており、当然それには対訳も付いている。日本盤、というものの存在をすっかり忘れていたし、リードトラック発売の時点ではアルバムの発売日は未定だったのだけれども、いまとなっては、それを読めば良いじゃないか、という話でもあって——、ただ、とはいえ翻訳してもらったものを添削させてもらう過程はおもしろく、勉強になり、発見も多い。

あと、The War On Drugs『A Deeper Understanding』も良く聴いている。
以前、今年は音楽を良く聴いていることから、上半期に気に入ったものをまとめたのだけれども、下半期のそれに上記の二枚は間違いなく入るだろう。
ただ、昨今の流行であるローファイな音は好みなのだけれども、現状、そういうものばかりになってしまっているので、少し毛色の違うものにも反応したい。

ところで、8月の最終日からずっと涼しい。夏は終わったのだろうか。明日は暑いという噂もある。
もう、よくわからない。雪が降ったらさすがに驚くだろうが、それでもそれはすぐに消費してしまう程度の驚きにも思える。
なにが起きてもおかしくない、という状況はスリリングなようで、じつのところはひどく退屈だ。

Sat Aug 26 2017

ここ最近、「Mysticore」や「ハイパーナラティブ問題」といったことに関心を抱いてきたが、これはつまり、制御不能への憧憬が表面化してきているということである。

情報とコントロールが溢れていて、脱力感が。とはいえ未知などない。こうなると意識が向かうのは死生観で、だから昨今は新興宗教と姿形を変えた新興宗教的なものが跋扈しているわけだ。死ぬことについては生きているものは誰も知らないわけだから、なにを言っても嘘にはならないわけで、だからこそ信憑性、もっともらしさ、ただそれだけで! 真実などなく、ポスト・トゥルースがその呼び名を得る前から土壌としていたエリアが拡大してゆく。
(透けて見える程度に)隠れた場所で対決していた芸術と経済が、スポットライトの下で戦うことを余儀なくされて、変幻自在なほうは経済のほう、なにしろ制約が圧倒的に少ない。勝負にすらならないというか、勝負しているポーズを取ることが経済にとって有益だから、そんな対決は行われているふうなだけで、あーいたいけなあの子。

ファストファッションならぬファストストーリーの無限生成はアート? ハイブランドストーリーは一部の富裕層のものさ。何食わされてるよ、おれら。自炊しようぜ、自炊。ってわけで、そんな感じになってんでしょ最近のひとってばさ、ってお見通しのお利口経済グループ(カースト上位)はすでに準備済み。準備早いよー、金あるから。あいつらに、ああこれっておれの、あるいはおれたちのものだ、って思わせれば良いだけなんだし余裕っしょ。「そういうもんだぜー」とかって言うのはさすがに露骨過ぎるって思うかもしんないけど、絶対そのほうが売れるから安心してもらって大丈夫ですってなことで、そういう感じになっています、いま。はい。

ほんなら、芸術はどないするー? ってなわけであのね、おれはね、もう人には見せへんよ。家でやってる。ここにしかないんやし、外出してへんのやから、おれのもんやろ、そら。鉤括弧付いてへん「いま、ここ」。せやからまあ、いま、ここやねん、ってことやねん。あげへんし、ひとのんいらんし、嘘ちゃうし、ほんまやしーってなわけでブギー、ブギー、戻ろうが進もうがおれの勝手や。文句言われる筋合いなんかないわ「ボケ、しばくぞ!(なにもない空間に向かって)」。

——というのも、ちょっとあれよね、なんか……。
でも、だからってわざわざ人前に出て行って「お前らのんちゃう、おれのおれによるおれだけのもんや!」って宣うのもなんかあれだよね……。あの……、儲かるんでしたら話は別でっせ——って「でっせ」はさすがに使わんか——ってなに見てんねん、しばくぞ!(慟哭はやまびことなり部屋を徘徊、間も無く消えてゆく……)。

Fri Aug 25 2017

……確か昨日だったかな、これから流行る「なにか」を思いついて、ああ、これ絶対に流行るし、すごい大金を稼げる産業になる可能性もあるな、と思ったんだけど、あんまり興味が無いから、その「なにか」がなにか忘れてしまった……。なんだったけな……。ちょっと思い出してみる。

……うーん、しばらく思い出すよう努めてみたんだけど、ダメだな……。なんかね、体験型のなにかだったと思うんだよ。興味無いと思ったんだけど、忘れちゃったことで気になってきたな……。
仮に体験をデザインする、みたいな話だとしたら、今年の2月(9日)に書いた日記や、今月15日の日記に登場する「ハイパーナラティブ問題」とも関わってくるし、興味が無いはずはないんだけど……。

……ちょっと思い出せないな。夢だったのかな……。まあ、いいか……。気になるけど、仕方ない。