Thu Oct 27 2016

しばらく日記が滞っていたのだけれども、その間、飼い猫のもきちの具合が悪かったため、様子が落ち着いてからまとめて書こうと考えていたためである。
写真はいまのもきち。すっかり元気だ。

18日、電話で獣医に相談し、点眼薬を受け取りに動物病院に。翌19日になってももきちの右目の具合は悪化し続け、顔の右半分全体が腫れてしまっていた。
心配だったので、19日は徹夜で様子を見ていたのだったが(実際は、Netflixで『天元突破グレンラガン』を観つつ、時折、もきちの涙を拭いていた)、午前6時前、右目の少し下の部分から粘り気のある血が一滴溢れ、なぜこんなところから、と思いつつ拭き取ろうとすると、そこからの出血が止まらなくなってしまった。量は少ないものの一向に止まらず、それが具合の悪く無い反対の目や口に入ってはいけないのではないかと拭き続けるも、もきちはあまり気になっていないのか、血を流しながら動き回ったり水を飲むために俯いたりくしゃみをしたり。
そんなわけで、混乱したまま疲労困憊、気づけば午前8時を過ぎていて、注文していたもきちのトイレの砂が届いた。受け取りの手続きをしていた間に、血が髭のあたりまで流れてしまっていたのであわてて拭き取り、手に付いた血を洗い流そうと洗面所に立った際に鏡を見て気がついたのは、Tシャツや顔に、くしゃみの勢いでずいぶんと血しぶきを飛ばされていたことだ。宅配便のひとが、なにか凶悪犯罪が起きているのでは、と誤解していたらどうしよう、と少し思うもそれどころではなかった。

午前9時、開院と同時に動物病院に架電。なんどか見てもらっていたELTの伊藤一朗(いっくん)似の獣医は休日だったが、急を要したので、誰でも良いのでできる限り早い時刻を——午前10時半——と告げ、予約を取る。
ところで、もきちは動物病院が死ぬほど嫌いなので、病院では大暴れにもほどがあるというか、とにかく凶悪(近付くものはすべて傷付ける)になってしまうため、前回の診察の時に、次の来院時に、と受け取っていた鎮静剤を与えなければならなかったのだけれども、この3時間ほど、血を拭き取るためにずっと顔を触られ続け(きっと痛かったのだろう)ストレスが溜まっていたのだろう、無理くり飲まそうとするとマジ切れ。動物病院以外の場所でマジ切れされたことはいままでなかったのでやや打ち拉がれるも、血だらけになりながらなんとか口に鎮静剤を押し込む。そして凄い形相でそれは吐き出され、マジのパンチを喰らったので(おれの)涙が出そうになる。
それでも、吐き出す際に噛み砕いたかけらを少し飲み込んだのか、弱っていることもありすぐにふらふらとしだす。このふらふらは鎮静剤のせいだとわかっていてもいつも不安になる。気力を振り絞り、病院で暴れまくっても獣医を負傷さえないように洗濯ネットにもきちを放り込み(この時点で、血が反対の目や口に入ることを阻止するのは諦めた)、移動用のバッグ(総重量11kg)に入れて慌ただしく家を出る。

動物病院はタクシーで10分ほどの場所にある。大きな病院で、獣医は10人以上おり、診察室も6つある。基本的に二人体制で診てくれる良心的な病院だ。
予約を取っていたため、受付後スムーズに診察室に。はじめて診てくれた獣医は綺麗な女性で、こんなことならいっくんにこだわる必要はまったくなかった、と恩知らずなことを思う。
診察後、やはり精密な検査をしなければ原因はわからないこと、ただ、腫れ上がっている位置から、表面的には大したことのなさそうな右奥歯のさらに奥が化膿している可能性が高く、その場合、抜歯になること、なので、どのみち全身麻酔をかけて検査や手術が必要になること、などの説明を受ける。
心配性なので全身麻酔は怖かったが、それを避けても状況が良くなる可能性はほとんど感じられなかったので、翌21日の朝一から検査と手術をしてもらうことに。うまく行けばその日の夜、あるいは翌朝に連れ帰られるとのことだった
この日は抗生物質を注射してもらい帰宅。それが効いたのか、帰宅後は比較的元気だった。

21日、未明から様子を見ていたが、右目下から血を流してはいるものの、ここひと月で一番元気。餌を再三ねだってきたが、麻酔前に与えてはいけないと言われていたため、ようやく食欲が出たのに与えられず悲しかった。
午前8時半、タクシーで病院に。天気の良い日だった。昨日に続き、綺麗な女性の獣医さんが、いっくんと共に検査や予想される抜歯の手術を担当してくれるとのこと。予想通り奥歯が原因であれば、正午過ぎには、施術も終わると思うと聞き、もきちとそのバッグ(合計11kg)を持たなくて良かったため、ふたりの獣医を勝手に足立区のELTと呼び、心の中で応援しながら徒歩で帰宅。

帰宅後、おれが家にいて、もきちが家にいない、という状況は、ほとんど無いことなので、家が妙に広くなった感じがした。この朝は珍しく以前の食い意地が戻ったのに、おあずけを食らったもきちが、いま大嫌いな場所で大変な目にあっていると思うと、なにか食べる気も起きず、家を掃除したり、昨日届いたトイレの砂を入れ替えたり、餌入れや水入れを綺麗にしたりして時間を潰す。
13時頃、(足立区のELTの)もっちーから電話があり、無事処置を終えたとの報。それらの内容を仔細に説明してくれ、最後に、あと……、と言うのでなにかと思うと、もきちはもう麻酔から醒め大暴れしているので、その日の夜か翌朝と言っていたが、もう引き取りに来てくれ、とのことだった。
15時、もきちを迎えに行く。取れた膿などを念のため病理医に渡し、それの結果はしばらく待たないといけないが、それで問題なければ、あとは2週間後に手術跡の抜糸で寛解と考えて良いとのこと。水は今夜から、餌は、もし欲しがれば明日朝に与えても良いとのこと。
16時、この一ヶ月で体重が600gも減ってしまったが、それでもやはり重いもきちとタクシーで帰宅。

帰宅後、麻酔後なので異変が無いか見ていてくださいともっちーに言われたためずっと様子を見ていたが、麻酔でのハイ状態と顔の腫れが治った喜びからか、逆に不安になるほど元気に。おれは深夜に少し眠ってしまったが、明け方には餌をよこせとしつこく起こされる。餌の要求で明け方に起こされるのもひさしぶりだったので感慨深かった。餌をやると、ものすごい勢いで食うので不安だったが、とにかく元気になって嬉しかった。それが22日の朝のことだ。

それからの日々のもきちはとにかく元気。ふたたび毎朝、餌をねだってくるようになった。まだ右目下の手術跡は痛々しいが、毛玉だらけだったため麻酔の折に毛を刈ってもらった尻尾が馴染みのない見た目のせいか、じぶんで追いかけまわしたりと、呆れるような行動も。
ということで、もきちのこのところの様子は以上。

最後に、おれの日記だが、上記のようにもきちの世話がそのほとんどだった。あと、もきちの医療費がずいぶんかかったので、金がほとんど無い。ほぼ無い。以上である。

Sun Oct 16 2016

写真は、この半月ほど具合の冴えない飼い猫のもきち。今日はほとんど一日寝ていた。餌はいつもより少ないものの食べているが、やはり心配だ。
動物とは会話ができないので、具合が悪そうにしている場合、ただ見ているほかない。すると、いつもより写真を撮らないことに気が付いた。

Sat Oct 15 2016

まあ、どうせ飽きたら消しちゃうし、という感じで始めた今回の形式の日記だが(今年の2月末より今回のかたち。飽きたら全部消して、またあたらしく始める——というようにしてからずいぶん経つので、何度目のやり直しかは把握していない。昔は、そういうのってどうなのかしら、と思っていたのだったが——つまり、やっぱりひとからリンクを貼られることだってあるのだから、ちゃんとそこに存在しないとね、というような考え——、よく考えたら、というか、別にそんなの気にしてるから窮屈なんだよ、404 Not Found、404 Not Found、といつからか考え直して、いまでは平然と幽しくやっている)、存外長続きしていて、だからやっぱりまた飽きてきて、WordPressにもどそうかな、とかとも思ったが、なんだろう、うまく言えないけど、いまWordPressでサイト作るのってピンと来ないというか、まあ、こうした個人の日記だけを記すページを制作するにはtoo muchなシステムだし、あと、(WordPressが)肥大化しすぎちゃったきらいもあって、ちょうど良い感じが見当たらない狭間のタイミングな気がするので、とりあえず、このまま……。

で、前回の日記で、ここしばらく考えていることの中間報告のようなものを行ったのだけれども、そんな折に、気になっていた「salon」という、アメリカのウェブマガジンに掲載されていた記事「“Mysticore” is the new norm: Inside the trend that’s casting its spell over the culture」のことをふと思い出し、なぜかどこかに翻訳記事が掲載されていたと思い込んでいて、いろいろと普段目にしそうな場所を捜索するも見つからず、結果、あ、翻訳記事があるというのは勘違いだった——
——というような流れをツイートしていたら、相互フォローしている相馬(称)さんから、「おれも探しちゃったじゃないか。」とリプライ。相馬さんとのやりとりは、基本的にふざけないといけないことになっているので、「すいません…。すいませんついでに、ちょっと翻訳しといてください…」とリプライで軽口を叩いたのだったが、相馬さんは(なぜか)本当に翻訳してくれたのだった。

というわけで、その記事がこちらです。
「Mysticore」こそ新たなフツー:文化にあまねく呪文をかける、そのトレンドの内側

で、もちろんすぐに拝読したわけだが、予想通りすごく面白い記事だった。記事中にも出てくる「Normcore」のようなトレンドと違い(……違うっていうか、「Normcore」という反応を起こした作用に比べて、「Mysticore」という反応への作用は、あまり表層的でないし、つまり、根深い)、「Mysticore」(名称はともかく)は、ここしばらく考えている「性」にまるわるあれこれに非常に深くコミットしていて、いちいち「なるほど……」と、翻訳してくださった方はよく知っているが、元の記事の執筆者(Laura Boltって人。たぶんこの人 @laura_bolt)のことはなにも知らない記事に深く頷く。

上記の記事は、また新たなマイルストーンとして置くとして、日記なのでいくつか他のことにも。

まずはやっぱり、The Lemon Twigsのデビューアルバム『Do Hollywood』!
9月16日の日記にYouTubeにあったMVを共有しているが、『Do Hollywood』はこの時の予想よりはるかに素晴らしい傑作だった(『These Words』のMVだけ見ると、少しイロモノ感があったし)。「比類無き作品」の真反対で、似ているものがたくさん——19歳と17歳の兄弟が作ったとは思えないその豊穣——と、それでいて19歳と17歳らしい瑞々しさも——、あと、プロデューサーであるJonathan Radoのすばらしい仕事(Jonathan Radoは「Foxygen」という二人組のひとり。Foxygenがすごく良くて、そこからThe Lemon Twigsを知ったわけだけれども、彼は今年もう一枚プロデューサーとして良いアルバムを作っていて、それが「whitney」の、こちらもデビューアルバム『Light Upon the Lake』)、これが聴きたかった。
いや、今年は素晴らしいアルバムのリリースが続いているのだけれども、決定打ってなると……、というところがあって……(『Do Hollywood』が無かったら、イギリスの「daughter」ってバンドの『Not to Disappear』がベストだった)。

あと、気になったニュースといえば、当然、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞と、タイのプミポン国王の死去。
他にも、近所のスーパーの、いつでもベストな接客を心掛けていることが伝わってくる尊敬すべき店員、ミウラさん(初老の女性)の、黒マント(Halloweenのコスプレ)の似合い具合や、依然、風邪気味の飼い猫の様子など、いくつかあるが、今日はメモ程度にこのあたりで。

Wed Oct 12 2016

さて、

例えば、先天的に「すべての性」を具有した状態で生まれる。じょじょにどちらかの性を失ってゆき、その流れから、その不足を補完するために無意識に異性の他者を求め始める。ところが、実はその補完方法は、他者に頼らなくてもよく、且つ、非常に多様である、ということが顕在化してきた時代なのでは?

そう考えるに至ったのは、ある個人的体験としての「性の不在」が理由であることは明確だが、そのことに気が付いたのはついさっき。反応を観察したことから、作用の正体を掴んだ様相。これについては、本質的なことであるが故にある種ノイジーに語らなければ間違えそうなので、日記にまとめようと思う。

上のふたつのパラグラフは、10日のツイートだが、そこにあるとおり、少しこのページでまとめたいと思う。これは、ここしばらくここに書いている日記の、ある種の中間報告にもなるだろう。

おれが最初に買ってもらった自転車は赤い、女の子向けのものだった。赤という色が好きだったし、それはいまもなお好きな色である。
当時、たぶん祖父母に買ってもらったのだろう、両親と祖父母と共に自転車屋を訪れたのだったと思う。それは女の子のものだ、と、両親や祖父母に反対されたことをおぼろげに覚えている。ただ、頑固なおれは譲らず、結果その赤い自転車に乗っていた。
小学生の頃、妹がふたりいたので、家での遊びは彼女たちに合わせてままごとなどになる(レゴブロックが好きだったので、レゴで共に遊ぶ代わりに、レゴを用いてままごとをしていた)。妹たちが買ってもらう少女漫画雑誌(「りぼん」「なかよし」「ちゃお」)のほうが、「週刊少年ジャンプ」より好きだった(ちなみに、おれが小学生だったころの「週刊少年ジャンプ」は全盛期。にも関わらず、おれは「ドラゴンボール」を一部しか読んでいないし、「幽遊白書」のことはほとんど知らないし、「スラムダンク」も読んでいない。「魔法騎士レイアース」と「こどものおもちゃ」と「ご近所物語」に夢中だった)。だから、小学五、六年生の頃は、女の子とばかり遊んでいた。話が会うし、そのほうが楽しかったのだ。
当然、そういったことは、その数年後には成立しなくなる。
中学生の頃はわりとふさぎこんでいた時期だが、いくつか理由はあるにしろ、単純に粗暴な男子たちとうまが合わなかったのだろう、と、いまなら言語化可能だ。
ただ、大阪の寝屋川と枚方の狭間という、不良の町で暮らしていた身としては、それなりに処世術を学ばざるを得ず、その時に役立ったのは意外にも少女漫画の知識だった。当時の男子はあまり知らないことだったろうが、少女漫画には、男子たちが言語化できていない男子の正体が簡潔に描かれているので、それを知れば人心掌握のようなことはさほど難しいことではなかったのだ。

それで、いつのまにか、男らしく生きてきた気がする。

男らしくあれ/男らしく生きて/男らしく死ねと
呪いかけられ/さらなる悲しみ/今日をやっとのことでのりきる
去って行くひとはいつも/あぁ/こんなにも美しい
GREAT3『影』

『影』収録のGREAT3『Romance』は、中学三年生の時、ほぼ毎日聴いていたアルバムだ。人生の中でも、もっとも聴いたと思う(余談だが、2013年9月11日、渋谷WWWにて「HMV GET BACK SESSION GREAT3 ROMANCE LIVE」という『Romance』の完全再現ライブがあったが、当然行った)。
いったい、なぜこんなにも「男らしく」という言葉を哀しく歌うのか。いったい、どういう呪いなのか。当時、幼く、また男らしさの混乱の渦中だったおれにはなにもわからなかった。
この当時、GREAT3のフロントマン(大抵の曲の作詞と歌唱をしていた)の片寄明人は、音楽雑誌に『Romance』の絶賛と同時に、「片寄、死ぬなよ」などと書かれていたが、ずいぶんと情緒不安定な時期だったことは本当のようだ。ところが、そんな彼はその後、そうした危うさをほとんど感じさせなくなってゆく。それがこの時期に結婚したChocolatによる影響だという想像があって、このことはこの後の記述にも繋がる。

中学二年生頃だったろうか、不良だらけの学校から去りたくて、確実な方法として成績を上げることにした。結果、府立高専という、それなりに勉強をしてこないと入れない学校に入学したが、そこには男子と機械しかなかった。逃げる場所を間違えたおれは、あまり学校に行かなくなり、アルバイトばかりし、その金で遊んでいたのだけれども、いよいよ留年だぞ、と担任教諭から手紙をもらったのを機に退学、いろいろあって芸大へと進学した。
芸大には女子生徒がたくさんいたし、なにより、装飾などへの美的感覚を覆い隠さずに済む場所だったため、とても気が楽だった。この頃、二年前に離婚した元妻と付き合い始め、つまりおれは20代のほとんどすべて、彼女と過ごしてきたわけだけれども、今回、この長い文章を書くに至ったきっかけ、そのツイート、

そう考えるに至ったのは、ある個人的体験としての「性の不在」が理由であることは明確だが、そのことに気が付いたのはついさっき。反応を観察したことから、作用の正体を掴んだ様相。これについては、本質的なことであるが故にある種ノイジーに語らなければ間違えそうなので、日記にまとめようと思う。

ここにある、ある個人的体験としての「性の不在」、とは彼女のことである。

フランソワ・オゾン監督『彼は秘密の女ともだち』で、ロマン・デュリス演じるダヴィッドは、女装癖があることを告白し、それを受け入れてもらい結婚した。ところが、結婚後、ダヴィッドは、女装の欲求を感じなくなる。やがて、ダヴィッドは妻を病で亡くしてしまう。それを契機に、ふたたび女装をしたいという欲求を彼は感じ始める。妻の親友だったアナイス・ドゥムースティエ演じるクレールに女装している姿を見られたダヴィッドは、彼女がいた時は、「女性らしさ」に不足を感じていなかったのだと語る。

「男らしさ」と同様に「女性らしさ」も輪郭のないものだ。
昨日、女性の友人に『彼は秘密の女ともだち』のことや、このところ考えている性にまつわるあれこれのことを話していると、『マイク・ミルズのうつの話』という映画(未見)に、決まってハイヒールをとホットパンツを履く男性が出ていて、彼はそのことで安心感を得ていると言っていたことを思い出した、と言われた。確かに「ハイヒール」には「女性らしさ」がある。象徴的とすら言えるだろう。未見の映画のことについてなので推測でしかないが、彼はその衣装を身につけることで、自分の中に「女性らしさ」を補完しているのではないか。そう考えた時に、思い付いたのが、冒頭のツイートである。もう一度、下に書いておこう。

例えば、先天的に「すべての性」を具有した状態で生まれる。じょじょにどちらかの性を失ってゆき、その流れから、その不足を補完するために無意識に異性の他者を求め始める。ところが、実はその補完方法は、他者に頼らなくてもよく、且つ、非常に多様である、ということが顕在化してきた時代なのでは?

じぶんがこの数ヶ月、このぼんやりとした「性」にまつわる話に気を取られているのは一体なぜなのだろうか? とは、不思議といままで考えなかったのだけれども、先に述べた女性の友人との会話で、「なぜ、そのことをそんなに考えるのか?」と問われたとき、ふと、深く考えず「さあ……、たぶん、言語化することで安心感を得られるのかもしれないですね」と言った瞬間、「安心感」という言葉がキーワードだったのだろう、いろいろなことに繋がりが走った。
大学の頃、自分の中で無意識に抑圧された「女性らしさ」が多少の解放を得た時に、ある女性と出会い、それからの10年近くを共に過ごした。その間、「女性らしさ」は不足していなかったゆえに、その存在のことを意識していなかった。
その後、離婚し、猫一匹とともに暮らす中で、寂しさや不満などは感じてこなかったが、上に書いた、幼少期の女の子寄りのじぶんの趣味のことを思い返すことが増えた。ただ、別段、そのことは不思議なことではなかった。
上記の変化に違和感を感じてこなかったのは、おそらく、知らぬ間に身のまわりにあった「女性らしさ」が欠損したことを、無意識に、自分の中にある「女性らしさ」に意識を向けることで補おうとしていたからではないだろうか? そして、それが不可能なことではなかったということではないだろうか。

——つまり、現代において、他者に依存しない性の補完は、可能であると同時に、非常に多様であり、また、摩擦をもたらさない。

——安心とは、手にある水の入ったグラスを、無理のない動作でそこにあるテーブルに置くことができるということだ。

長々と書いたが、やはりまだ——この感じ——はうまく説明できなかった。まあ、できないことはわかっていたのだけれども。
ただ、いちおう、これは「これから」の話のつもりで書いた。だから、不完全で当然だし、あと、なぜだかはわからないけど、おもしろい気がするから、つまり、——おもしろいってことである。

この文章、きっと「なにを言っているのか全然わからない」というひとと、「なんとなくわかる感じがする」というひとの二通りに分かれると思う。
そんなわけで、なんとなくわかる感じがした皆さん! 「これから」は、わたしたちのものですよ。
意識さえすれば、その足音は至る方面からも聞こえてくるはずです。あれも、これも、ぜんぶ!
まあ、またその「感じ」の話は、いつになるかわかりませんが、後日ゆっくりとしましょう。
ただ、その時にはこんな「感じ」の話、もうどうだって良いことになっていると思いますが——。

以上、中間報告——、というか、ようやく土台が沈まなくなってきたというか……。どちらかといえば、ここからようやっと考え出せることのほうが多い。そうでないと嫌だ。

Tue Oct 4 2016

気温の高い一日だった。

そういえば、1日にツイートしたのだが、

写真以前に、集合写真みたいな構図の絵画って存在したのかな…?

ということが、ふと気になった。
——というのも、Twitterでは、割合多く演劇をしている人をフォローしていることもあり、時折集合写真の投稿を目にするのだけれども、そのたびに(失礼なことだが)集合写真ってつまらないな(というか、美的なものではないな)と思ってしまうのだった。
そんなわけで、写真の歴史についてはほとんど知らないのだけれども、以前テレビのバラエティ番組で、「海外の学校の卒業アルバムでは、それぞれのポートレイトが、正面ではなくやや斜めなのはなぜ?」という視聴者の疑問に応える企画を放送していて、その理由が、どうやら肖像画を手本にした名残、というところに落ち着いたのを思い出し、集合写真のルーツが気にかかったのである。

いま、少し調べて知ったのは、海外では日本ほど集合写真を撮らないのだそうだ。たぶん、写真以降の構図なんじゃないかな、あれ。あと、日本は、先に述べた「学校の卒業アルバム」も、正面を向いてのものが多いし、実際にじぶんのものもそうだった。なんか、メンタリティの問題かな? そうなってくると気になるのは、わりと世界共通な印象の「自撮り」。これは、道具が明確に構図を決定しているわけだけれども、例えば映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』で印象的だったのは、ヴィヴィアン・マイヤーが二眼レフカメラ(ローライフレックス)を使用していたことだ。彼女がライフワークとしていたのはストリートスナップで、正方形の写真の中に、偶然出会うだけの市井のひとびとをかなり近い位置で撮影している。多いのが、ややあおりの構図で、被写体の頭上に空間を持っているもの。たぶん、ヴィヴィアン・マイヤーはこうした写真を撮るために道具であるカメラをローライフレックスに限定したのだと推測できる。それは目的のために道具を選ぶ、という当然の行為だが、写真は絵画に比べ、構図の決定権を道具が多分に持っていて、そしてそれが魅力のひとつであることがわかる事例だ。
で、ヴィヴィアン・マイヤーはセルフポートレイト——いまでいうセルフィー——もよく撮っていて、有名なのは先に述べたローライフレックスで撮影したものだが、多いのは、一眼を使用し、(当然だが)反射物に写った自分を撮影したもの。反射物に映る自分の顔を撮影しなければならないことから、顔の近くにレンズを持ってくる必要があったのだろう。
現代のセルフィーは、腕を伸ばした先のスマホで撮影するため、被写体との距離は50cm前後、液晶に表示される画を確認するため、ほとんどカメラ目線、さらに縦構図である。おそらく、このような構図の絵画はスマホ以前には存在しなかっただろう(いまも描く人がいるのかはわからないが)。つまり、端的にあたらしいものなので、だからだろうか、一体これはなんだ、と一瞬考えさせられてしまう。
集合写真でこれまで見る機会のあったものは、クラスメイトと自分が写ったもの(自分と、その関係者)くらいではないだろうか? 自分が写っていない集合写真——それは、一体? となるよね、ということを言いたくて、蛇行しながらここまで書いたが、それを経て、なぜ海外では日本ほど集合写真を撮らないのか——なぜ、日本では集合写真が撮られるのか——ということがおおいに気になっている。海外の人は、いわゆる集合写真にどのような感想を抱くのか。あと、セルフポートレイトと自撮りのこと。ヴィヴィアン・マイヤーが現代に生きていたとすると、スマホで自撮りをしただろうか? なんとなく、したんじゃないかと思うのだけれども、それはなぜか……。

疑問ばかりだが、きょうの日記はこれでおしまい。
上の画像は、飼い猫のトイレの近くに設置したダンボール(4年間、穴が開けられると補強し、それを繰り返しこの姿になった——創業以来継ぎ足しのタレ——みたいなもの)の写真に、きょう作った幾何学模様を重ねたもの。