Sat Dec 31 2016

あまり人には話さないことなのだけれども、昨年の夏前に思い立ち、PlayStation4を買った。当時、臨時収入があったり、Blu-rayの再生機としても使用できることを知ったのがその理由で、あまり人に話さないのは、単純に周囲にゲームを嗜む友人がいなかったからだ。
本体と同時に買ったのは、『DARK SOULS Ⅱ』という初心者には少し難しいアクションゲームで、最初は難しさに途方に暮れそうになったが、オンラインで見知らぬ他のプレイヤーに助けを求められるシステムが面白く、すっかりハマってしまった。
その続編の『DARK SOULS Ⅲ』が発売されたのが、今年の四月頃で、それも購入したおれは、YouTubeでそのゲームの実況などを見るようになった。

なぜこんな端書きをしているのかというと、2016年の表現、そのオールジャンルベストに、髪白スイさんというゲーム実況者の『[DARK SOULS3]初心者女子、髪白がダークソウル3を実況プレイ』を挙げたいと思い、その魅力を語るのに必要なことだったからだ。

これまで、音楽、演劇、映画、小説などの芸術作品で感動したものがあれば、饒舌に語ってきたが、今回の作品(個人的には作品と呼ぶのがしっくりとくるが、一般的には作品という概念で認識されるものではないかもしれないし、そう認識すべきではないのかもしれないとも思う)に関しては、なかなかその魅力を、周囲にいるゲームをしない友人などに伝えることが難しく感じられたため、冒頭に書いたのと同じ理由であまり人に話してこなかったが、ふと、それではいけないのではないかと思い、こうしてここに、今年のオールジャンルベストとして書き記しておこうと思ったのだった。
なぜ、それではいけない——、と思ったのかだが、それをここに記すと非常に長くなってしまうきらいがあるので、それに関してはまた別に機会にあらためたい。

さて、前置きが長くなったが、『[DARK SOULS3]初心者女子、髪白がダークソウル3を実況プレイ』の概要を説明しよう。
YouTubeに公開されている、ブロードキャストと呼ばれる配信方法でライブ放送された動画の記録の集合体——全37本+αの映像作品で、各映像の長さは定まっていないが、合計するとおそらく80時間から90時間程度——がそれで、すべて『DARK SOULS Ⅲ』というゲームのプレイ映像と、髪白スイさんの実況、そしてそれをライブで視聴している人たちのコメントでのみ構成されている。
もちろん、この作品のいちばんの魅力は、実況者の髪白スイさんの人柄にあるが、髪白さんが何らかの理由でゲーム実況を始めようと思い立ち、購入したのがPlayStation4とそのソフト『DARK SOULS Ⅲ』であったということもまたその魅力の本質を作っていて、それは、そのことが、この作品を高度なビルドゥングス・ロマンにしているからである。

先にも述べたが、『DARK SOULS』というゲームは初心者には難しいうえにくせのあるゲームで、そのゲームを初めてプレイすると同時に、その実況の配信も始める困難は、配信動画の1本目を見てもらえば容易に伝わると思う。そもそも実況者はゲームの操作方法がわからないし、配信される動画は画質に難がある。また、それを見ている人もほとんどいないため、なかなか適切なアドバイスをもらえないのだ。
ところが、数本目で(当然だが、映像1本1本の間には一日から数日の、現実世界での時間経過があるのもこの作品の魅力だ)、配信者が、操作方法もおぼつかないなか、非常に苦戦した敵を誰も見ていないなか倒した後あたりだったろうか、見ていられないという気持ちと、髪白スイさんのチャームで、そのゲームの経験者が数人、アドバイス——というよりも、面倒を見るという感じか——、をし始める。この作品において主人公である髪白スイさんと同じくらい重要なので名前を挙げるが、そのひとたちが、ルーシーさん、スグさん、テキサスさんである。

たしか、どうしても先に進めない髪白スイさんに、オンラインで他のプレイヤーの助けを呼べることを伝えたのは、テキサスさんだったと思う(コメント欄に表示されるコメントからでしかその素性は想像できないが、一度、20年ぶりの10連休だ、とゴールデンウィークに発言していたことから、40代から50代の男性だと思われる)。
そんなことが可能なのかと喜ぶ髪白スイさんに、その方法を伝えようとするもののなかなかうまく伝わらず、結果、テキサスさんは「めんどくさいな」とコメントしながらも、しぶしぶ髪白スイさんにオンラインでともに遊ぶ方法をいちから教え、そしてゲームの世界の中に初の他者として登場する。
その直後にルーシーさんもゲーム内に登場(こちらも、社会人の男性だと思われる。ここから髪白スイさんとは、作品中でもっとも長い付き合いになる登場人物だが、後に視聴者が増え始め、外国人からのコメントなども見られるようになった際、英語とドイツ後が話せることがわかったりと、それぞれの登場人物のゲーム外での側面がちらちらと見え始めるのも面白い要素だ)し、序盤は主に、奔放な髪白スイさんとその初心者ぶりに呆れ気味の視聴者によって進行してゆく。

先に、この作品がビルドゥングス・ロマンの形式を持っていると書いたが、テキサスさんとルーシーさんという、初めにいろいろなことを配信者に教えたふたりが、成熟した大人だったことがその最大の要因といえるだろう。魅力的で、ついかまってしまいたくなる(実際、ふたりはかまってしまっているのだが)髪白スイさんを過保護にせず、あえて突き放すことでこの難しいとされるゲームの魅力を伝えようとするふたりの奮闘は、序盤のハイライトだ。
スグさんに関しては、特記していないが、後に自身でも語る通り、その役割は主にガヤであり、そのことが、この作品にある種の軽さを提供している。この後も様々な人物が登場するが、常にどこか『めぞん一刻』を想起させるドタバタ感と放っておけないヒロイン像を形成したのは、スグさんとルーシーさんの功績だろう。

さて、そんなわけでゲームの攻略は進んでいき、それに連れて視聴者も増え始める。
もはや配信者の世話を焼くのは、テキサスさんとルーシーさんだけではなくなったある頃、ふとテキサスさんがコメント欄からいなくなる。自分のプレイスタイルと合わない遊び方に苦言を呈し、「つまらん、寝る」と残したのがおれが見た限りでは最後のコメントだ。
ただ、これは憶測に過ぎないが、テキサスさんは、もはやそこに自分の役目はなく、とおくで見守った方が良いと考えたように感じられた(なにしろ、少し時間は遡るが、序盤、オンラインプレイをするために必要な貴重なアイテムを配信者が持っておらず、なんとか苦労してひとつ手に入れ自分を呼び寄せた彼女に、その貴重なアイテムを、まるでその後の配信者の活躍を願うかのように51個も提供したテキサスさんである)。

その後、中盤、あらたな様々な魅力的な人物の登場や(料理好きで、配信時間が夜中に差し掛かる頃、おいしそうなものを作り始めるダンさんや、髪白スイさんの大ファンで、スイ様と崇める女性でありながら、彼女の行動に冷徹なツッコミを入れ、ゲーム内でみんなで対戦する際にはひときわ大きな武器を持ち出し勝利するキリタニさん、などなど)、持ち前の負けん気の強さと、テキサスさん、ルーシーさん、スグさんと序盤に出会った幸いが合わさってか、難関は必ず助けをもとめず独りで攻略してゆく髪白スイさんのプレイスタイルなどが人気を呼び、終盤には百数十人が常に見ている状態へとなってゆく。

そしてついに最後の敵を倒し、ゲームのエンドロールが流れるわけだが、ここはもう、単純にとても感動的だった。おそらくいろいろなことが走馬灯のようによぎった髪白スイさんの声と、百数十人による、ちゃんと読めないほどの速度で流れてゆく祝福のコメント群はまさに大団円。

だけど、おれがなにより感動し、涙してしまったのは、その、あっという間に流れていってしまうコメント欄に一瞬あらわれた、ルーシーさんのコメントだった。それは、序盤にコメント欄から消えてしまったテキサスさんへの呼びかけだった。
髪白スイさんも、ルーシーさんも、テキサスさんがいなくなってから何十時間(現実の何十日)、一度も彼のことを言わなかった。そのことがずっと気にかかり見ていたおれは、その瞬間、やっぱりふたりとも、ずっと気にかけていたのに、ただその時そこにいる人たちと楽しむことを最優先にしてきたが故に声にしていなかっただけだったのだな、と感じ、それでもやはり最後には発せずにはいられなかった、いつも冷静で、髪白スイさんを見守るようにいつもそこにいたルーシーさんのあっという間に流れ去った言葉——「テキサスさん、もし見ていたら一言声を掛けてあげて!」——に打ちのめされたのだった。

これまでそれなりの数の映画や小説に触れてきたが、上記のルーシーさんの一言のような衝撃をもたらすものは、そう多くなかった。
フィクションよりもよほど異常なことが起こる現実を日々目の当たりにしている昨今、フィクションにこそ精緻な「そりゃそうだ」が必要になってしまっていると感じていていた最近、おれはレトリックの可能性を見失いつつあった。そんな折、物語が持つ力の根幹をもう一度想うべきなのかもしれないとこの衝撃の前で感じたのは、こういってはなんだが、おれのこの感動は、現実で起きていたことと距離があると思ったからだ。
それはつまり、ほんとうのことはわからない——そのことの可能性でもある。見えない部分で、なにかが大きく膨れ上がる。上記の衝撃を整理整頓して見つめてみれば、さして打たれることではないかもしれない。言ってしまえば、いくつかのちょっとしたこと。別段、考え過ぎたわけでもない。でも、感動したということ。そしてそれは、周縁にいるものの感動でしかないということ……。非常にシンプルで、だからこそ難解なこの感触……。歌……。

いつもふざけていたスグさんは、ルーシーさんが「テキサスさん、もし見ていたら一言声を掛けてあげて!」とコメントする中、髪白スイさんが初めて動画を配信した日を、誕生日を、すぐに流れていってしまうから繰り返しコメントしていた。それは現実の日付で、なんのためにそれを言うのかはわからない。だけど、なんのためにそれを言うのか、という疑問にはならない。実際、その日付に始まったことが、その時、終わろうとしていた。そのことの理由を問う必要はどこにもなかった。

作品というほかないのである。

ふと、David Bowie『Blackstar』のことを、真剣に考える必要を感じもした。

なんとか、整然と書こうと努めてきたが、やはり最後はどこかで期待していた混乱が待っていた。2016年の可能性の話。とんだ千切れた駄文だ。だからこそ、2016年のうちに終わらせたかったのかな。
でもまあ、ここまで書いたよ。書かざるを得なかったし、そうさせるものがあった。それはフィクションだし、現実でもある。

Wed Dec 28 2016

クリスマスも忘年会も終わり、すっかり年の瀬。
今年は、常々静かに過ごしてきたのだけれども、年の瀬だと思うと、一層心静かに過ごせる。

昔から、なるべく余所者というか、すこし違う場所にいる感覚で過ごしたかったのだけれども、それはそう簡単なことではないし、自他共にある程度の成熟を要する状態だからなかなか叶わなかったが、今年はかなり理想的な静けさの中で生活できたと思う。
とはいえ、それは非社会的なことだから、その弊害もすごく感じたし、簡単に継続できることでも無いと痛感。
できれば、今年得た良い感覚——余計なものが剥がれて落ちていく感覚——などは持続させ、来年は静けさと喧騒の折衷、あるいは往復を過ごしたい。

最近このページを新たにしたので、年内の日記は消えてしまったが、自分では読み返せるので、今年を振り返ると、つくづく「gender」がテーマの年だったと思う。
33歳の誕生日だった10月頃には、飼い猫の体調不良があり、その様子を見つめる自分の目に逆照射されるような時間もあったため、「gender」を想う自分の目線が、他者の性ではなく、自分の中にある複数の性、ひいては自分の中にある性が無根拠であることにまで及び、やがては人と動物の境界すら(一方的に)曖昧になっていく感じがした。
そんななかで、祖母の葬儀があり帰省したことなどから、年始から気にかけていた受動的に形成されるコミュニティ——代表的なものはもちろん家族だが——、そうした共同体についての意識もまた変わっていった。
「gender」やら「家族」やらと、やたらにテーマがマクロだが、静かに過ごしてきたとはいえ、自分は世の中からの影響からでしか思考を走らせられないから(というか、それ以外があるのか?)、きっとそれは今年がそういう時だったということだろう。

ところで、いま、上のように書いていて、三村京子さんが昨年末にリリースした『いまのブルース』収録の『鏡』という曲のことを、今年はよく考えていたなと思い返す。
一曲目に表題曲が収録されていて、それも素晴らしい曲なのだけれども、自分にとって「いまのブルース」という言葉がいちばんしっかりとはまるのは『鏡』だった。
少し歌詞を引用しようかと思ったが、全部書き記さないとしっくりこないことに気がついたので、よす(特に適したリンク先も見つからなかったので、気になった方は聴いてみてください)。

——ということで、年内の日記はこれにて。皆様よいお年を。

Mon Dec 26 2016

前回の日記から二週間空いたが、その間、帰省などをしていた。

もともと、この数ヶ月、祖母の具合が悪かったのと、妹の命日だったこともあり、今月の16日に帰省する予定だったのだが、ぐずぐずしているうちに祖母が亡くなってしまったのだった。

16日は寒く晴れた日だった。夕刻、新幹線で大阪の実家に。一泊し、翌17日昼過ぎ、母親の運転で祖母の暮らしていた、おれの出生地でもある大阪岸和田の葬儀場に。通夜の後、葬儀場の宿泊施設で叔父家族とともに一泊。翌18日、葬儀。

今回、母方の祖母が亡くなったことで、おれの祖父母はみな亡くなってしまった。
それにしても、毎度のことだが、葬式の周辺の時間はさしてやることがなく、ただ食って話しているだけなのに妙に疲れてしまう。

19日、公演を控えたchikinの稽古場に顔を出し、夜、京都駅から東京へと戻る。

Tue Dec 13 2016

ひと月ぶりの日記。
ひと月も空いてしまうと、細かに書くには該当する期間が長すぎるし、大雑把に書いたら、過ごしていた、とかになってしまうので、今回は年末だということに寄りかかろうと思う。

といっても、今年を振り返って、とかは大変なので、今年良かった音楽を紹介したいと思う。昔はよく年の瀬にいろいろと振り返ってのまとめを記していたけど、こういうことをするのはずいぶんとひさしぶり。

というわけで、今年リリースのアルバムTOP 5(順不同)。

  • Angel Olsen / 『MY WOMAN』
  • Daughter / 『Not to Disappear』
  • The Lemon Twigs / 『Do Hollywood』
  • 宇多田ヒカル / 『Fantôme』
  • Perfume / 『COSMIC EXPLORER』

自分でやってるんだから当たり前だけど、なんかすごくしっくりきた。
今年の5枚はこれです。
一応、次点も幾つか(順不同)。

  • ANOHNI / 『Hopelessness』
  • 坂本慎太郎 / 『できれば愛を』
  • D.A.N. / 『D.A.N.』
  • 石野卓球 / 『LUNATIQUE』
  • David Bowie / 『Blackstar』

……次点は、なんとなく90年代を感じさせる音が多いな。
男性ボーカル4枚、女性ボーカル4枚、あと、ANOHNIと石野卓球か。なるほどなあ……。
今年は、自分にとって間違いなくもっともジェンダーについて考えた年だったのだけれども、上のリストからも、そうなったことが自然なことなのだと示唆される。

ちなみに、海外メディアなんかの年間ベストはひととおり目を通しているけれども、上記のもので入ってるのは、Angel Olsen、ANOHNI、David Bowieくらいかな。
聴けてないなあ。それでもかなり聴いてるもりなんだけど、気にいったアルバムが2,3枚あれば一年くらい経っちゃうからな。あと、古いのを聴くことも多いし。