Wed Jan 18 2017

今月10日から18日の日記。

10日夜、高専の同級だった友人が遊びにくる。いまでも付き合いのあるなかでは、最も旧い友人。

11日、天王洲でデヴィッド・ボウイの回顧展「DAVID BOWIE is」を観る。あまり体調が良くなかったため少し散漫になりながら見、手書きのメモや楽譜、それにキャプションの豊富に、時間と集中力のある時にあらためて出向きたいとも思いつつ、十分におもしろかった。途方も無いひとだ。

12日〜14日。Netflixで『亜人』『プラネテス』を観る。共に傑作。

15日、早朝、昨年末亡くなった祖母の満中陰のため大阪の実家に帰省。前日からひどく寒く、名古屋を超えたあたりから積雪のために新幹線は徐行。ずいぶん余裕を持って出たのだが、母親に言われていた14時ギリギリにタクシーで目的地に到着。あわてて葬儀場の施設に飛び込むと、係りのひとに15時からだと言われる。母親に架電するも出ない。どうやら、近所の喫茶店で昼食を食べていたようだった。礼服を忘れてしまっていたので着替えることもできず、15時までぼんやりと待つ。
大阪もずいぶんと寒かったため、家にいる飼い猫のことが気がかりだったが、帰りの新幹線も遅延するだろうし、疲れていたため実家に一泊。

16日。朝、実家を出て帰宅。名古屋まではやはり積雪のため徐行。上野で今年の手帳を買う。ここ3年、同じ手帳を使っているが、数年に一度訪れる「手帳、別になくても良いのでは?」問題に過去と同じ感じで悩まされ、購入が遅くなる。手帳を買うと、財布には小銭しかなくなってしまった。どうかと思う。

17日、夜、友人が遊びにくる。明け方頃までよもやま話。

18日、詳細は覚えていないが、おそらくTwitterで昨年の11月頃に刊行予定と知った『夫のちんぽが入らない』(著:こだま)がAmazonから届き、読む。ずいぶんと楽しみにしていて、面白かったが、自分がいま求めていた感触とは違った。作品自体と少しずれたところに批判の気持ちもすこしあり、それというのも、こういった「良い本」「売れる本」の持つ必要悪が内容を軽く読ませ過ぎている感じがあって、つい「良い本」「売れる本」と類型してしまうリーダビリティと文章の整頓が、果たしてこの作品に適していたのか、という疑問が読了後に残る。そんなことはどうだって良い、と言いたい気持ちもある良書だったが、どうだって良くはないな、という気持ちが少し勝つ。

Mon Jan 9 2017

このところ、繰り返しMitskiの歌う姿を見ていてはっきりと思ったのは、いまは、女性がひとりでギターを携え歌う姿だけがロックンロール足りうる、ということだ。

去年のいまごろは、『イサナの歌』という小説をずっと書いていて、それはエレキギターを弾けるはずなのに結局最後までエレキギターを弾かずに終わった女の話だった。歌を歌いたいのにいつまでたっても歌えないひとたちの話だった。それは、戦後の話、戦争の話、殺人の話、男女の恋愛の話でもあった。
言葉にならないから、イメージを言葉で描き続けて、一年経って、ああ、こういう姿を追っていたのかと知る。そういったことをもう何年も繰り返している。
書き込めば違った具体にしかならないから、幻影のように幽しい姿をそこに定着させようと、矛盾の作業を繰り返している。それで良いのか、という疑問はあるが、良く無いとは思わない。なんのために、とか、誰のために、とかと言い出せば、それは自分による、自分のための、自分のイメージを美しく描き出すためだけの作業だ。そのことをもう一度考え直すつもりはいまのところない。
去年までのイメージは去年に描いた。いまはもう、その後の時間で、あたらしいイメージ、幻影が、逆光に輪郭をにじませている。だから考え直している場合ではなくて、作業を続けるほかない。それが私の生活。

Sat Jan 7 2017

1月7日に飼い猫のもきちは十歳になった。
去年は具合を悪くして、手術をしたり大変だったから、今年は機嫌よく過ごして欲しい。

もきちはいつもやさしいやつで、十年も一緒にいるのに、いまだに擦り寄ってきては、喉を鳴らしている。

Thu Jan 5 2017

謹賀新年。

大晦日からどうも風邪っぽく、正月はのど飴ばかり舐めて過ごしていた。
人出が落ち着いてきたようだったので、昼過ぎ、西新井大師に初詣。おみくじは末吉。夜、仕事初め。年賀状を書く。