Tue July 25 2017

それを見るためには、たいてい、顔をそちらに向けなければいけないのだけれども、必ずしもそれを見たいからそうするわけではなくて、たとえば音がしたからそちらを向くこともある。そして見る。
いや、やはり見るために顔をそちらに向けたのか。音がしたから、その正体を見ようとして顔をそちらに向けたのか。ただ、時には音がして、顔を向け、なにかを見ているようでなにも見ていないこともある。その方向を向いているだけである。
いや、なにも見ていないということはないのか。目は開いている。そこには何も無いわけではない。だから見ている。
でもやっぱり、その時はなにも見ていない気もする。

見られるための工夫として、四角い枠のあるものがいくつもある。自ずと発光するものも多い。そうすると、枠の外と内とは、なかなか同じふうには見られない。発光体は強いアプローチ。あるいは、だからこそ発光するものから目を背ける。どちらにせよ、強い意識がそこには向けられる。

とにかく目が疲れる。なにも見たく無い。そうしてひとは眠るのかというとそんなことはなく、来たる日の目を向けるべき発光体のために休息を取っている。だから目は疲れ続ける。みんな目が悪くなる。そして眼鏡をかけるだろう。

ところが眼鏡には枠がある。目にもっとも近い枠だ。その代わりではないだろうが、光を多少遮ってくれるレンズが付いているものが多い。とんだ気休め。結局やることは、枠の中の矯正レンズを経て、見られるための四角い枠を見るということだ。眼鏡をかけても目は疲れる。
中には、角膜をレーザーで削ることによって、眼鏡をかけないよう工夫するひともいる。たいへんなことである。枠から逃れるためには、角膜をレーザーで削らなければいけない。

角膜をレーザーで削った後、その目はどうなるか。やはり疲れる。
いったい、なにをしているのか。見ている。見る。果たして見ているのだろうか。ずっと、ただただ見せられているだけなのかもしれない。
それが嫌な時、どうすれば良いのか。角膜をレーザーで不適切に削るのも効果的だが、もっと簡単な方法もある。目を閉じる。するとたいてい、ひとは眠る。眠り続けるのは不可能だから、目を開く時がいずれやってくる。
それで呆れて、(だからたぶんやっぱりきっと)もう目が開いていてもなにも見ないようになってゆく。眼球から網膜へ、そしてそこから脳へは行かず代わりに虚空。そこに光は吸い込まれてゆき、やがてその日もあなたは目を閉じるだろう。
虚空から光は逆流し、目を閉じているあなたはなにかを見る。それは夢である。
目を閉じていても見る。

Sun July 16 2017

ピンナップのような雰囲気のものを作ろうと思っていたら、どことなく美人画の風情を帯びたものになってしまった。
気に入っているのだけれども使うことはなさそうなので、今日の日記に載せておく。

さて、いろいろと困ったことになっている。ピンチはチャンス、と言いたい気持ちもあるのだけれども、ピンチはピンチだ。
そうなると呑気なことを考えている時間もあまりなく、ここに書かれることも少ない。言葉の位相は、状況によって簡単に変化してしまうため、いつもここで語っているような言葉から少し離れてしまっているのだった。ここ、という軸があるからこそ気付けることで、そのことは幸いだが、それにしても草臥れる。

美しいものをほんとうに理解しようとし、感動し続けるということはとても困難なことである。そのことを諦めることはとても楽で、つまり簡単であり、まるで背骨が一本抜けてしまったような脱力を身体にもたらす。そうなった身体は、見れば一瞬でわかる。だからこそおそろしいのである。

Wed July 12 2017

11日。早朝からMetallicaのセルフタイトル(通称『ブラック・アルバム』——中盤に空耳アワーの名作「寿司・鳥・風呂・寝ろ」があり、やはりそうとしか聞こえず笑ってしまう)を聴きながら仕事。自宅だからできる所業。断続的に夜遅くまでそれを続け、そろそろぼんやりしてきたな、という自己判断と、そういえば今日、朝飯しか食べてなかった、という気付きに促され、コンビニで缶ビールのロング缶2本とつまみを買う。さあもうなにもしないぞ、とビールをグラスに注いでいる最中に友人から電話。遊びに来るという。日付が変わる頃だったので、これは朝まで帰らないつもりだな、俺は眠い、と告げるとそれでも遊びにきたので朝までいろいろと話す。すぐにビールがなくなったので、なにかの折に買ったのか、誰かが持ってきてくれたのか、家にずっとある日本酒の残りを呑む。すると、夜明け頃に酩酊してしまい、友人たちが帰ってゆくのを見送った記憶はあるのだが、ほとんど何を話していたのか覚えていない。それでも体質なのか、アルコールを摂っての眠りは浅く、朝に胃の不快感とともに起床。12日である。

夕方、グラフィックデザインの仕事を頼んでくれた友人たち(大学の後輩)とLINEのビデオ通話で打ち合わせ。思い返すと、大学を卒業した年、とある事情(元妻にフラれた)であてもなく京都の街を彷徨い歩いていると、大学の卒業制作に関する話し合いをしていた彼らと偶然出会い、なんだかわからないうちにその卒業制作のチラシを頼まれたことが、グラフィックについてまじめに考えることになったきっかけだった。それからもう10年以上経つ。変わったことも変わっていないこともたくさんあるままだ。
そんなわけで、アイデア(無限)を出し、それに彼らが乗ってくれたため話し合いはスムーズに進む。
当たり前だけど、無限にあるんだよ、アイデアっていうものは。ここ数年はどちらかというとエンジニアというべき仕事を手掛けることが多いので、無限にあるグラフィックのアイデアたちは行き場を持たず、そのせいでたまに頼まれるとやたらとアウトプットしてしまう。先月、こまばアゴラ劇場でおこなわれた公演(はなもとゆか×マツキモエ『WORM HOLE』)のチラシを作っているときは、最終的に12案も作ってしまい、すっかり相手を悩ませてしまったと反省している(下にあるのが、印刷されなかったものの中で特に気に入っている四つ)。

深夜、飼い猫のもきちを風呂で洗う。最近はもう、サザエさんにおけるタラちゃんとイクラちゃん程度には飼い猫とコミュニケーションが取れている気がする。気がするだけだが。

Sun July 9 2017

気が付いたら7月になっていたので、今年の上半期、特によく聴いた今年リリースのアルバム5枚のメモ。

  • 『Powerplant』 / girlpool
  • 『Rocket』 / (Sandy) Alex G
  • 『Slowdive』 / Slowdive
  • 『Everybody Works』 / Jay Som
  • 『Melodrama』 / Lorde

下にそれぞれのアルバムから1曲ずつビデオを貼ったが、アスペクト比が16:9の動画は(Sandy) Alex Gだけだった。girlpool、Slowdive、Jay Somが4:3。
質感やサチュレーションにおいては、どれも近しい感触。

VX2000引っ張り出してきて何か撮ろうかな、とも思ったが、MacBook AirにはFireWireは挿さらない。

Thu July 6 2017

ここしばらくは家で仕事をしているだけなので、嘘か昔話でも書かないと日記にならない。困ったことだ。
仕事の内容の関係から、ずっとブラウザを見ているし、いまもこうしてブラウザを見ているが、このところはウェブサイト、TwitterやInstagram、あとiPhoneもほとんど見ていない。そういう気分なだけかもしれないし、もう、いろいろが解体への潮時なのかもしれない。引き潮の時だ。