Wed Nov 24 2017

23日。勤労感謝の日。朝まで労働の後、夕方まで眠る。体調が悪い。めまい。

24日。引き続きめまい。
朝「NHK高校講座」で「ベーシック国語」をまとめて見る。その後、眠ろうと思うも関係各所が労働を開始してしまったため、いくつか連絡を受ける。応対しているうちに昼をとうに過ぎてしまい、仕方がないので眠らないまま恵比寿に。LIQUIDROOMでMitskiを観る。素晴らしかった。

思いついた文章があったので以下にメモ。
終わらない言語化は一握の砂の最高峰への旅路。僅かにだけ標高を更新して。もう二度と。もう一度。

言葉がやろうとすることは、例えるならば、二次元のものを三次元に描き直すことではなく、二次元のものを三次元に見えるように二次元で描き直す、ということだと思う。

Wed Nov 22 2017

前回の日記——19日付——を書いていたのは20日の朝だが、最後に「さて、時間つぶしに書いていた日記だが、もう時間だ」とした。
というのも、東京地方裁判所に行く用事があったのだった。
わけあって被告として出廷しなければならなかったのだけれども、過去にそんな経験はないし、なんとなく絶対に遅刻してはいけない感じだったので寝ずに電車に乗り霞ヶ関に。

裁判所の入り口でX線検査を受ける。鞄にナイフのようなものが入っているのではないか、と疑われたが、家の鍵だった。
昔、5、6cmのVictorinoxのポケットナイフを持ち歩いていた時期があって、別段、頻繁には使わないものの時折は便利だったそれのせいで渋谷警察署の取調室に入れられたことがあり(取り調べを受けたわけではなくて、他に部屋がないとかで、戸を開けっ放しにして取調室で事情を訊かれたのだった)、なんだかわからないがもう持ち歩かないと約束させられたため、それはいまは家にある。だから鞄にあったのは家の鍵で、時間に余裕もあったためスムーズに東京地方裁判所には入れたが、書類を見ると約束の日にちは翌21日だった。

倦怠感だけを感じながらの往路。帰宅後ふて寝。

21日。無事、起床。昨日の道をゆく。この日は家の鍵を咎められなかった。指定された場所に向かう。おそらく会議室のような場所なのだろうと思っていると、思いがけずドラマなどで見る法廷だったのでちょっと驚く。綺麗な女性の書記官が優しく接してくれたので、言われた通りにしていると二分ほどで終わりになる。
なんとなく絶対に遅刻してはいけない感じの用事が終わり、人心地。富士そばで蕎麦を食って帰宅。

22日。労働。ここ数日は本格的に寒い。

Sun Nov 19 2017

前回が今月10付なので、9日ぶりの日記。
17日、18日は帰省と観劇を兼ねて京阪に。やはり京都は冷えると感じたが、全国的にこのあたりから寒くなっていたようで、いよいよ冬っぽい。
駅のホームという場所は特に冷える気がする。寒くなると駅のホームで電車を待ちながら、どこか知らないなにもないような場所へ行って心寂しくなり落ち着きたいなどと思うことが時折あり、実際にそうすることも珍しくないのだが、そのたびにもれなく希望通り心寂しくなりなぜこんなことをしているのか、早く帰宅しよう、となる。

ここ数日は、大抵の勤め人からすれば日常よりもゆとりのあるスケジュールと感じられるだろうが個人的にはわりと慌ただしい日々で、いよいよ今日を乗り切れば少し落ち着くと思っていたのに、今朝、つまずく。昼過ぎ、予定をひとつ飛ばしてしまったのでふて寝。ふて寝だっただけあり、なんだか沈鬱となる夢を見た感触で起床。外はすでに暗く寒い。
仕方がないのでビデオゲームをしていたのだけれども、そのビデオゲームの中で「敵に勝利し栄光を勝ち取れ」というようなことを言われる。
ふと思ったが、「栄光」や「誇り」、つまり「名誉」という言葉に関して、意味や、謝意を伝える意として「光栄に思う」などと応える気持ちはわかるものの、本質的な体感からその言葉を使ったことがこれまでに無かったことに気が付く。これまで一度も名誉なことのない人生だっただけなのかもしれないが、それというよりは、自分の評価というものに関して、自らのものにしか関心を払ってこなかっただけのようにも思う。
そうなると、他者を介在しない評価は名誉と無関係だろうから、今後の人生も栄光や誇りを感ずることはきっとないのだろう。
なので、「敵に勝利し栄光を勝ち取る」ことができる人の気持ちを理解するのは本当に難しいし、「そちら側」は多元宇宙における別次元ほどにも感じられるというのが本音だ。このことが放置しておいて良いことなのかは甚だ疑問だが、もはやまともに対応することは非現実的だと理解してしまってもいる。これは、「名誉になど興味はない」というようなニヒルな発言ではなく、ただ悲しくも寂しくもない断絶の向こう側を茫漠と眺めている、そんな虚しさの話である。

さて、時間つぶしに書いていた日記だが、もう時間だ。

Fri Nov 10 2017

風邪をひいた。
喉、鼻、と流れて、いまは咳。
今朝は、咳で腰がだるま落としのように抜けてしまうかと思ったが、じょじょに快方へ。
昼過ぎ、仕事の打ち合わせで神保町に。夜、早稲田小劇場どらま館で「新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演」を観る予定だったのでそのまま早稲田へと移動したが、開演まで3時間もあり困る。早稲田大学の中を少し歩いてみるが広くてすぐに疲れる。喫煙所はずいぶんと端にあり、探すのに難儀する。大学なんてどこでも煙草が喫える印象だったが、思えば学生だったのはもうずいぶん前だ。ちなみに高専にも喫煙所はあった。購買の前の一等地。

「新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演」はとてもおもしろかった。
今回、タイトルロゴを手掛けたので安堂信也、高橋康也による訳書はその時に読んでいたのだったが、上演を観てあらためてその戯曲の凄みに触れられた気がした。
そもそも「リーディング公演」というものが、どういう経緯で生まれたのかよく知らないのだけれども、「新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演」においては、その形式が仕掛けとして活かされていて、その一枚の層がテキストの持つ茫漠とした悲しみを浮き立たせていた。

……話は変わるが、なんというか、残酷で面白い時代だと思う、いまは。
すぐ隣にいると思っている人が、実はすごく遠かったりする。同じものを見ているようで、ちっともそんなことはない。そういったあれこれがうやむやにならない。輪郭を強くしつつある。だから残酷で、だから面白くもある。
いまはまだ、そのどちら(残酷と期待)にも居ることができるが、そのふたつもいずれ、すぐ隣のようで遥か向こう、絶縁してしまうのだろう。それは仕方のないことで、だからこそ、いまの可能性を愉しむことこそが知的であり、知的であることが可能性の体現である。

Mon Nov 6 2017

夜、友人に誘ってもらい、浅草酉の市の「一の酉」に足を運ぶ。
商売繁盛して忙しくなっては嫌なので、困窮しない程度にどうぞよろしくとお願いする。

おみくじは「凶」。同行のふたりも「凶」。誰のを読んでもろくなことが書かれていない。
長國寺を出る際に、三人で常香炉を囲んで煙を浴びようとしたが、風向きの関係で、唯一人のいない方向へと煙は流れていった。
「凶だからだ……」と言い合いながらその場を去る。

屋台でワンタンスープと餡餅を食って帰宅。