Mon Feb 12 2018

いまひとつ優れない日々。

仕事の資料として若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』を読み始める。読み終えてはいない。分量的に一息で読んでしまうべき小説だが、そんな集中力もない。ちなみに、前回の日記に記した赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』は、いろいろな瑕疵が気にかかってしまい頓挫。
テレビで少し平昌五輪を観る。

きっとだんだんといろいろなことが面倒になる。新しい関心や興味を抱くことが億劫になる。それはつまり、努力しなければ無意識に排除してしまうようになっていく、ということかもしれない。
関心を持つ、ということは、自然にできることではない。いろいろなことに興味がある、という状態は、そうなるように苦労したからそうなっている。そうなりたいと本心で思っていなければそうはならなかったはずである。
楽しみたい。それが叶わなかったからといって、嫌いになったり無関心になることはないじゃないか。それは、ただたんなる衰えでしかなく、つまらないことだ。
きっと昔話に時間を費やし日が暮れる。そんなふうな景色を想像することはとても容易い。

上のパラグラフのようなことを、わざわざ言うこともなくなるだろう。わざわざいうことでもない、と思い、実際に口を閉ざすようになるだろう。それで消えてなくなるのならば悪くもないが、言葉はいつも危ない。また同じ話。繰り返し。あえて冗長に語ろう。わかったような顔をして、その頭にはもうなにも入らない。誰も掃除はしてくれない。空き容量が無いので動かない。大量のコピーがそこには記憶されている。