格好良い動物

午前9時前、元妻が忙しい合間を縫ってもきちに会いにきてくれる。もきちはずいぶん喜んで、しばらくはしゃいだ後、疲れて眠った。

13時、タクシーで動物病院に。片道千円と少し。診察と皮下点滴。もきちを一度家に帰し、今月分の奨学金の返済のため郵便局に。ほとんど仕事をしていないのに金がじゃぶじゃぶと。

帰宅後、もきちがおれの体の上に乗りたがってきたので少し驚く。今朝までの様子からは想像できないことだったからだ。

今日の診察は、以前、もきちの抜歯の手術を施してくれた綺麗な女性の獣医が行ってくれた。腎不全の治療はもちろんのことだが、特のこと、体躯の大きな猫は何も食べない状態が続くと肝臓も悪くしてしまうため、ひとまず何か食べさせるべきだとペースト状の餌を処方される。

食べるかどうか不安だったが、帰宅後のもきちはそれをぺろりと平らげ、皿に余っていた平時の餌にまでがっつきはじめた。慌てて昨日受け取っていた腎臓病の猫用の餌の試供品に取り替えると、それは思いのほか形状が大きく、もきちは前歯が出ているためうまく食べられないのではないかと懸念するも、それもたいらげた。
そして排尿と数日ぶりの排便を済ますと、今朝までの部屋の隅ではなく、いつもの場所で体を伸ばし眠り始めた。

やや呆気に取られたものの、とにかく食べ、そして眠り、ただ生きようとしている姿に敬服する。

17時。予定を先に伸ばしてもらおうかと考えていたおれの通院も、考え直し予約通りに訪れる。その後、今日は何も食べていなかったため腹ごしらえ。帰宅後、風呂を浴び無精髭を剃り、身嗜みを意識する。

もきちの一挙手一投足は動物として掛け値無しに格好が良く、目が離せなかった。わかった、と頷くほかなかった。
おれから指図することはなにもない。ただお前を尊重すれば良い。
そう教えてくれた彼は、その他にもいくつかの大切なことや美しいことを教えてくれた。それがたった一日のことだった。
体が辛く苦しいだろうに、そんな一日を飼い主に見せてくれるのはやさしさが過ぎる。ありがとう。

愛しのもきち

上の写真は、今月の7日に、おれのベッドでくつろいでいたもきちである。

そんな愛猫のもきちだが、いまはすっかり元気がなく、リビングで昏くしている。今日、末期の腎不全であることがわかった。
その疑いは予てからあったのだけれども、おとといまでは機嫌よく過ごしていたのであった。

昨日、飼い主であるおれも具合を悪くし臥せっていたのだけれども、もきちもいつになくひとりで眠っていたことが意識の片隅にあり、今朝、彼が餌を嘔吐していた声で起床すると病院に急行した。
検査の結果は、おとといまで機嫌よくしていたことが不思議な数値を示していて、入院も打診してもらったが、もきちは極度の病院嫌いのため通院する旨を伝える。

元妻が飼っていたりゅうという名前の猫は10歳の時に腎不全で亡くなっていて、そうした経験から心づもりはしてきたつもりだったが、それでも心痛が果てしない。
おれは、すごくもきちが好きなのだ。彼は、とてもやさしくて、美しい猫だ。

元気のないもきちを見つめていると、滂沱しつつも、愛おしいから笑みもこぼれる。
どのくらいになるかはわからないが、そんな時間がこの後つづく。