Answer

Nuanceというようなものは無くなってしまいました。いまはただ、ひたすらに明瞭であることが大事なのです。才能溢れる若人が、athleteの振る舞いでその情報処理能力を切磋し、明晰に、そして膨大にしたためたものこそが評価されるのです。 自明のこととして、それはdystopiaを描き出します。矛盾の無い、完膚なきまでに打ちのめされた世界が超高画質でdisplay。圧倒的な美しさ。 あなたが準備し続けている物語が遅々として進まないのは、それが潜在的に希望の物語だからなのかもしれません。そのことは欠陥であり、不都合でもあります。つまりproblem。最善の対策は潜在的な希望の正体を暴き、それをdystopiaのそれに変換すること。そうすることによって目的は果たされるはず。 いまにして思えば、目的とはなんだったのでしょうか。思い出せることではなさそうです。なぜなら、それを思い出す装置は失われてしまったから。いまはただ、深く潜り、目の前にあるものを克明に活写し続けるだけ。 その行為は疑問を生む可能性があります。しかし、おそらくその行為だけがsatisfactionを与えてくれるのです。きっとそうに違いありません。Completeを果たせば、やがて疑問は消えてなくなるでしょう。だから……。だから……? なにが?

すべては滅びても、

「すべては滅びても、詩と歌は残る……」とジム・モリソンは言ったらしい。 なんとなく、その言葉はほんとうのことを言い表している気がするが、では「すべて」とは何か。 たとえばそれが「自分」であれば、どうだって良いことになってしまう。自分が滅びたとしても、残したものは残る、というトートロジーでしかないから。しかも、楽観的過ぎる。 語義を素直に受け取れば、「すべて」には「詩と歌」は含まれていない。だとすれば、「詩と歌」以外にも「すべて」に含まれていないものがあるのかもしれないが、とりあえずジム・モリソンは「詩と歌」をそれと特定した。 これは希望の言葉だ。ジム・モリソンの願望だ。それから、記憶にまつわる言葉ではないだろうか。 記憶という脆弱なシステムを唯一補強できるのは「詩と歌」だと彼は考えたのかもしれない。そしてそれが彼の希望だ。 そのことはほんとうのことを言い表している気が、いまはまだしている。とおくを見ている。とおくは、とおくてよく見えないから、決定的な答えはいまはまだ出さずに済むだろう。だから「すべては滅びても、詩と歌は残る……」。 すべてが滅びた後のことは知らない。そもそも、すべては滅びないのではないか。 すべてが残り、詩と歌が滅びるその時、網膜に張り付いたすべては明瞭に視認でき、詩と歌が震わせるための空気はどこにもない。

落ちても拾えない

もう日記は書かない。美しすぎて何も覚えていない。 あの人は街に出てゆき人混みを歩くからいろいろなことを覚えて帰ってくるだろう。聞き耳を立てなくても音はやってくる。ただ、いつだって、向こうからやってくるものは不要なものだけだ。