2020年11月21日(土)

午前6時前起床。快晴。強風。

このところ、自宅のアエオニウムの元気が無いように見える。日記によれば、2015年の初夏に購入していて、その後、植え替えなどをしていないせいだろう。
もともと、植物を育てることにさして興味は無かったのだが、仕事で多肉植物の通販サイトを手がけることになったのがきっかけで、いまでは幾つかの多肉植物を育てている。その際、クライアントから頂いた著書によると、植え替えの周期は2、3年とのこと。
問題は鉢で、なかなかこれといったものが見つからない。とはいえ、放っておくわけにもいかず、ひとまず植え替え用に土を発注。乾燥しているこの時期に、他のものの植え替えもやってしまおうと思う。

宮崎夏次系『あなたはブンちゃんの恋』1巻を読む。デビュー作からなんとなく読み続けている作家だが、年々好きになっている。年々、作品が良くなっているだけかもしれない。

音楽は、Emily A. Spragueの新譜『Hill, Flower, Fog』、BTS『BE』、Angel Olsen『Whole New Mess』。どれも白を基調としたジャケット。
毎年、良かったアルバムを整頓していると、ジャケットの傾向が見えてくるのが面白い。2020年に良かったアルバムは、白いジャケットのものが多いです。

2020年11月20日(金)

気温が高く、どんよりとした空。強風。洗濯機を二度廻す。

日記を書き始めたのは高専生だったころだと思う。約20年、断続的に書き続けてきたが、日記を書くというのはなんのためのことなのか。

手書きのものはほとんどなく、ワープロを覚えて、htmlを覚えて、と先に道具があり、それを使うためのもっとも簡単なものが日記だった。
2003年頃からの日記はほとんどウェブ上に公開しながら書いていたが、ある時から一定期間ぶんを書いては消し、書いては消しを繰り返すようになった。端的に、精神衛生上の理由だったと思う。
確かに日記を付けていれば、細かなことも記憶しておくことができた。でも、時折は忘れたい。2005年以降のログはすべてあるから、思い出したければ読み返すこともできる。
なにをしていたか、と同時に重要なのは、当時の気分だった。そのためには、ある程度上滑りを自覚しつつも書き残すことを選んでいて、それが同時に時折の消去を促している。

とはいえ、日記を書くというのはなんのためのことなのか——、の答えが、上に記したようなことに集約されるのかはわからない。記録、記憶、というよりも、先のことを考えるための有用性のほうが高い気もするからだ。さらには、書いているその時こそが、もっとも大切にも思える。

でもまあ、明確な答えが出ないのが良いのだろう。だからこの世には数多の日記がある。

今日は音楽を聴かなかった。風が強いと、その音を聞いてしまう。

2020年11月19日(木)

気温が季節外れに高いせいか、体調が優れない。まだ気温は上がるようだ。

『天使、インタプリタ』を通読し、少し直す。この小説においては、ひとまず、これ以上は望めなさそうだ。新しいやり口を見出さなければ。

たしか発刊されてすぐに購入したのだったが、いちばん目の届く場所に長らく捨て置いていた『宝石の国』11巻を読む。難解な作品なので、いつもその前巻から読み返していたが、日が空いたので今回は9巻から読み直す。いつ読んでも物語は頭に入って来ず、その美しさに憧れる。そのことを体験することが存外体力を要することだと感じたのは、こんなに素晴らしいと思っている作品の最新刊を数ヶ月も放置していたことからだ。

加速しかければ踏みとどまり、じりじりとなにもない場所へと進む筆致。次はこのやり方で、もう少し長くやらなければならないようだ。必然的に途切れるように、それも、予想していない形で終わるための方法——など無い、という矛盾のまま、それを実行する術は、たぶんもはや、美にしかない。

2020年11月18日(水)

晴れ。朝に眠り夕暮れに起きる。

昨日届いたPENTAXのK-7だが、メインで使おうと思っている単焦点レンズのオートフォーカスが後ピンなことに気が付き、カメラのAF微調整機能で修正したものの調整可能範囲の限界値になってしまった。その値で適切に調整できたと思ったものの、限界値を僅かに過ぎたところが最適だったらいやだなあと思い、K-7本体のデバッグモードでAFを調整し、さらにAF微調整機能を使ってみるが、やはりもう適切な調整はできていた。
デバッグモードで調整したため今後さらに後ピンになっても対応できるようにはなったが、すでにずいぶんな後ピンだったわけで、数年前まで使っていたK-01がミラーレス機であったためこれまで問題になっていなかったのだろうか。つまり、カメラとレンズどちらに原因があるのかがわからない。

ところで、AFのピント確認のため家の中で写真を何枚も撮っていたのだが、パソコンに取り込んだ際、なぜかキッチンの写真だけがずれてしまう。説明が難しいが、本来の写真の左部分が右側に回り込んでしまうのだ。動画の話で例えると——同画像2枚を押し出しのトランジションで変化させ始めてすぐに停止した時の静止画——のような感じ……。何度撮ってもキッチンだけがそうなってしまう。
不可解なので調べていると、SDカードの不具合でそういったずれが起こることは珍しくないようで、中古の本体に付属していた古いSDカードをそのまま使っていたため新しいものを注文。ただ、キッチンだけがそうなる説明はなにもない。写真を撮らなくなってからの数年の間に、キッチンに押し出しトランジションの霊が滞在するようになってしまったのだろうか。どうしよう。新しいSDカードに思いを託す。

今年の良かったアルバムのひとつに、Big ThiefのAdrianne Lenkerのソロ作品『songs』があるが、彼女がNPRのTiny Desk Concertに出演していた。いまは、Tiny Desk (Home) Concertか。

2020年11月17日(火)

晴れ。夕方に起きる。昨日ヤフオクで買ったカメラが届いた。

レンズ交換式のデジタルカメラはずっとPENTAXを使っていて、K-01というミラーレスの機種を数年前まで愛用していたのだけれども、それが壊れてからはあまり写真を撮らなくなっていた。
昨年、iPhone 11を買って(それまではiPhone 6だった)、半ばカメラとして購入したふしがあったのだけれども、どうも綺麗に写り過ぎてつまらない。K-01に付いていた薄い単焦点のレンズ(smc PENTAX-DA 40mmF2.8 XS)が気に入っていたので、時折PENTAXの良い中古がないか探していたのだったが、昨日、格安で状態の良いK-7という古い機種を見つけたのだった。家の中で少しシャッターを切っただけだが、大したものを撮らない感じに合った写りが好感触。

夜、『姉ちゃんの恋人』第4話。
脚本が岡田惠和だったので見始めたのだったが、ロケーションも生活圏の雰囲気に近く、楽しんでいる。小池栄子はもちろん、あまり演技を見たことのなかった有村架純、奈緒もすごく良い。

音楽はAna Roxanneの2nd『Because Of A Flower』。
そろそろ今年の良かったアルバムを選ぼうかと思っていたのだったが、それに関係してくる内容だった。

2020年11月16日(月)

17日の未明から16日付の日記を書こうとパソコンの前にいるが朝日が昇ってしばらくしてもなにも書くことが思い浮かばない。
雑誌を捲り、手の届く場所にある本を拾い読みなにも思い浮かばない。考えている——ほんとうに考えているのか? これは思考なのか? これまでもこうした方法で思考してきたか? などと埒が明かない。
だったら書かなくても良いのではないか……。いや、せっかくこんなに長時間、日記を書くことについて悩んだのだからそれもつまらない。仕方がないからその経緯を書こう——そんなふうにいま日記を書いている。つまらない日記だ。でもこれで、日記を書くことからも、日記を書かないことからも赦される。まるで底に積もった塵。

2020年11月15日(日)

12日(木)、13日(金)と夕暮れに起床。だらしなく過ごす。

14日(土)、正午過ぎ起床。サイクリング。
9月の末に自転車を買った。自転車屋で働いていた時期も含めて、この17、18年間は自転車に乗っておらず、数年前までは専らバイクで移動していたのだったが、それが盗難に遭ってからの移動はすべて徒歩と電車——東京の地下鉄は気が滅入るので極力控えていると、徒歩で移動できる範囲は僅かなうえにこのコロナ禍、共に過ごしてくれる猫もいないというのに家にばかりいた。
それで一念発起し自転車を買ったのだったが、その運転が思いがけず愉しくこのところはよく出掛けている。

macOSを「Big Sur」にアップデート。良いのか悪いのかよくわからないが良い気がしないでもない。

15日(日)、Amazon Prime Videoで岡本喜八『ダイナマイトどんどん』を観る。過去の日記を調べたところ2006年の1月に観ていて、記憶の中では田中邦衛演じる芦刈の作蔵との対戦が白眉でその後はまったく憶えていなかったのだが、それ以降のほうが長かった。
当時もおかしな映画だなと感じていたようだったが、あらためて観るとなぜ143分もあるのかがわからない。時間とともに退屈さが増し、すべてが空騒ぎに見えはじめ、最後には虚無感が訪れる。1978年の映画である。

2020年11月11日(水)

午前9時過ぎ起床。快晴。風がやや強かった。夕暮れ、洗濯物を取り込む。

ところで、また日記を書き始めたのは好き勝手なことを書きたかったからだ。SNSでももちろん、ある程度、好き勝手は書けるだろう。ただ、多くの他人の好き勝手が時系列に並べられているTwitterなどにはもううんざりもしていて、できればTwitterを開く、という行為以外の能動性でもって他者の好き勝手に触れたく、とりあえず自分がそれを実践——というか再開しようと考えたのだった。
といっても、いまだにブログなんて書いている友人知人はいないから、より閉じただけなのかもしれない。リプライ、メンション——レスポンスも求めていない。日記を書いている。

それにしても、インターネットがこんなに人間の嫌な部分ばかりを目にするためのメディアになるとは思っていなかった。そっちにより需要があるということだろう。いわば「大きな自殺」だ。
個人的な、つまり本来の自殺も輪をかけて増えているらしい。今年は著名人の自殺が相次き、それらの報道の度に目にしたのは、「いのちの電話」はこちら、というような案内で、その電話口では一体なにが語られているのか。基本的に電話を使わないおれのような電話嫌いはどうすれば良いのか。二三年分の生活費を翌日に振り込んでくれるというなら電話するけど。

今日はやっぱりElliott Smithにもどってセルフタイトルを聴いていた。あとは町あかりの『それゆけ!電撃流行歌』。

2020年11月10日(火)

午前7時過ぎ起床。快晴。冬らしくなる。洗濯機を廻すが、二度寝、昼寝と相次ぎ干したのは午後3時。明日取り込もう。

夕暮れ、近所のアリオに。すっかりクリスマスの趣き。
夜、『姉ちゃんの恋人』第3話。

今日はカイリー・ミノーグの新譜『DISCO』を聴いていた。
毎年、テレビニュースで流行語大賞のノミネートの発表を見かけるが、今年は知っている言葉が例年よりも多く、結局、同じような体験を共有していないと流行語などあり得ないのだろう。多様性という言葉の背後にはなにがあるのか。いまはもう、シニフィエが多様性を持ち過ぎ、議論はおろか簡単な話も通じなくなってしまった。天気の話だけして余生を過ごすつもりなのか。ディスコはクラブとなり、クラブはどこかへ行った。簡単な話は通じず他者と踊りもせず、身体からなにが滲み出るというのか。

2020年11月9日(月)

午前8時前起床。二度寝し、午前10時過ぎに洗濯機を廻す。雲の多い空だったが、空気が感想していたので日暮れまでに乾く。

仕事。その後、バストリオに寄稿予定の原稿の直し。『Long, Long, Long, Revolution 1』という表題を付けたが、もちろん『White Album』(『The Beatles』)から採っている。
その原稿でも触れているが、最近は天使について考えていて、6月の下旬から『天使、インタプリタ』という小説を書き始めた。7月の中旬に約20枚で脱稿したものの、ずっとなにかが引っかかっていて、しばらくは短歌を書いて気を紛らわしていたのだったが、やはりどうも落ち着きが悪い。

以下はTwitterに記したことだが、

当然、書き始めれば書けるし、それで見えてくるものがあるに決まっているのだけれども、それとは無縁に書きたいわけで、そうなったのは世の中との関係が変わったからだが、天の邪鬼でいれば良いというような簡単なことではなく、問題は本質的だ。

どこか目的地に向かう筆致に納得がいかないのは、そんな生活はもうどこにも無いからだ。あるのはその瞬間の痕跡だけであり、だから何かに向かってなど進まない書き方を考え『天使、インタプリタ』を書き継いでいた。それなのに終わりらしい終わりを向かえようとしている終盤の呼気が気に食わず、壊そうと先月から修正と加筆を始める。いまは約30枚で、二度目の「もうこれで良いだろう」という気分なのだが、推敲する気がちっとも起こらず困っている。
さっさと終わらさなければ天使についての思考が進まないではないか。いや、さっさと終わらせようとしては天使についての思考は進まないのだ、という反論があり、しんどい。なぜこんなことをやり始めてしまったのか。

音楽はElliott Smithを、特に『Roman Candle』を聴いている。暗くて良い。明るい音楽なんて聴く気分じゃない。ぜんぜん愉快じゃない。